頭痛と記憶の洪水の夜
今日は朝から晩までずっと、うっすらとした頭痛。
痛みがガンガンに強ければ逆に、痛み止め飲んで30分仮眠したらわりと治るんだけど、頭に薄い膜が張ったような頭痛は薬が効かない。
頭が痛いと言っても、本当にうっすらだから普段通り子どもの世話も送迎もするし、というかワンオペだから1人でやらないといけないし、仕事もなんなら普段より忙しいくらいの作業をこなす。
まさかのこのタイミングでジェルボールもボディソープも切れたから、昼休みの間に爆速でサンドラッグに行ってきた。
会議のあと別の会議、リアルタイムで議事録を書き起こす。目も耳もずっと使っているから余計に頭が痛くなる。
気づいたらお迎えの20分前。5分だけソファで静かに目を閉じる。残り15分でお夕飯の下拵え。
車でお迎えに行き、さぁ帰るぞとなった途端に子どもが今すぐトイレに行きたいとなり、走って園舎に戻って上履きを取りに行き、どうにかトイレに行かせた。
子どもをお風呂に入れてドライヤーかけて、ご飯つくって食べさせて食器洗って、洗濯物片付けて明日の幼稚園の支度をして、子どもがテレビを観ているソファに横になる。
頭が朝からずっと痛いときは、経験則として、薬を飲んだところで治ってくれるわけじゃないから、とりあえず目を閉じて横になって、時間が過ぎるのを待つ。
リビングの照明すら眩しくて、目を開けると余計に痛みが増す。
子どもがリビングいっぱいに広げたおもちゃを一緒に片付け、歯磨きさせて寝室へ。
絵本を読んで、抱っこして少しお話して、トントンして寝かしつける。
静かな寝息が聞こえ始め、なんとか今日を痛みとともに乗り越えられたことにほっとして、潜り込んだ布団の中で目を閉じる。
突如として脳裏に、実家の自分の部屋から見える景色が甦る。
マンション、一本道、バス通りの車、郵便ポスト、ケーキ屋さん。
たいていの頭痛の日には、痛みの向こう側から、今はもうなくなってしまった実家の思い出が溢れ出してくる。
私が大学1年生の冬に、両親が離婚した。
それまで、中学、高校時代には父が単身赴任で不在だったが、大学に入る頃には父が戻ってきていて、4人で一緒に暮らしていた。
両親がそれほど仲がいいわけではないことは、なんとなくわかってはいたけれど、私の実家は、家族はここにあるんだと、信じて疑わなかった。
もう兄も私も大学生だったから、両親が離婚しても、家族として、私と父、私と母、私と兄、そのかたちは変わらないと、いつからか、そう受け入れられるようにはなった。
受け入れはしたけれど、それまで当たり前だった「家族」が失われたことは、あまりにも衝撃的だった。
もう大学生と言っても、今の私から見たらそのときの私は、まだ、たったの18歳の子どもだった。
いつもと同じ、見慣れたリビングの食卓ライトの下で、もう私たちは永遠に家族に戻れないということを知った。
私は幼い頃から記憶能力が高く、好きな思い出も嫌な思い出も、巨大な引き出しからいつでも思うままに取り出して再生することができた。
もうこれから先更新されることのない、父がいて、母がいて、兄がいて、そこに私がいるという家族の記憶。
両親の離婚後、私は繰り返しあらゆる記憶を取り出して、結びつけ、補い、そして何度となく再生した。
頭痛のときは、まるでその引き出しが傾いて、中身がいっぺんに溢れてこぼれ落ちて、記憶の海に溺れるような状態に陥る。
次から次へと芋づる式に、互いが結びついた状態で、あちこちから、無遠慮に再生される。
向かいのケーキ屋さんのドアの取手、フルーツタルト、紺色のケーキ皿、土曜日の夜、父の淹れるコーヒー、眠れなくなるからと薄めて牛乳を入れてくれる母、お気に入りのムーミンのマグカップ、台所の白いライト、ペタペタした床、テレビ台の上の時計のオルゴールの音、ソファの肘掛けの手触り、大河ドラマ、針金のハンガー、かかってくる前からわずかに音がする固定電話、パソコンの青い光、青い椅子の丸いキャスター、窓の鍵の形、食器棚に貼られたポケモンパンのおまけシール、引き戸の音、前に住んでた家の腰窓、ベランダで一輪車、兄が貸してくれた靴下、餃子の皮、金魚の水槽、二段ベッドの下の上履き、バレエに行くとき用の水色のカバン、ゲームボーイの起動音、祖父母の家のシクラメン、ひょっこりひょうたん島の録画ビデオ、牛乳寒天、赤い自転車、かいけつゾロリの本、神社の銀杏、どこまでも高く漕ぐブランコ、古い小児科の待合室にあった『11匹のねこ』、床屋のおじさんとおばさん、ゴールデンレトリバーのチェリーの鼻の上の触り心地……
住んでいた実家のマンションも父が売りに出し、大学までの22年間を過ごした地元そのものにも、帰ることがなくなった。
今はまったく別の場所で、夫がいて子どもがいて、自分の家族をつくっている。
自分の家族は言わば第二章だ。
第一章だった実家と家族の思い出は、ずっと私の中にあって、消えることはない。
第二章を日々過ごす私の頭の中で、第一章がたまには読んでくれと、頭痛を起こしているのかもしれない。
頭痛とともに起こる記憶の洪水にはとにかく、暗い部屋のあたたかい布団の中で、浮かんでは消えるその流れのままに任せ、途切れるまで見続けるしかできない。
そしてもう戻ってこない時間を思って、涙が止まらなくなる。
その間に痛み止めが効くか、眠ってしまうかだ。
いつか、この洪水がなくなる時が来るんだろうか。
でもこの洪水が、私をいくつもの「あのとき」に引き戻してくれる。
子どもの寝返りでふと気付くと、眠ってしまっていた。
夫が帰ってきたらしく、階下でさっき私が作った豚汁をチンしている音がする。
今日一日ずっと頭が痛くて、ずっと忙しくて、なんだか大変だったんだと話したい。
昼間たまたまネットで、子どもがハマっているウルトラマンのイベントの広告を見たんだけど、今度行ってみる?って、話したい。
実家の家族の思い出をあふれるほど抱えて、今の自分の家族のことを、思っている。