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あのときの償いは、誰のためのものだっただろう。

1年半前に、アカウントを作っていて、
記事をひとつだけ、書いていた。

あのときのわたしは、
誰への償いを、
誰のための祈りを、
つむいでいたのだっけか。


あのときのわたしは、疲れていた。
神奈川で学習塾の教室長をしていた。生徒が大体、120人ほど。
平日休みで、友人が飲みへと誘う時間帯には大体、生徒の保護者と面談をしていた。

乗り込んだときにはほとんどひとのいない電車には、大崎あたりから、酒気を帯びたひとたちが乗ってくる。
一番前の車両の、いちばん端の席。
手すりにぼんやりともたれて、家路につく頃には、日付が変わっていた。
夜の甲州街道沿いを、走って、走って、家に帰る。

とてもじゃないけど、ちゃんとこなしていた、とは言い難かった。

消耗していた。
正直、余裕はなく。


因果応報ってやつかな、とは思った。

就職活動も、新卒の仕事も、
実は心から納得してやれていたわけではなかった。
決して適当にやったわけではないと思うが、
志とか、軸とか、そういう立派なものはなかった。

きっと、今までのわたしの適当さが、返ってきてしまったのだと。
だからこそ、今までのわたしの身勝手を、悔いていたのだと思う。

わたしがずっと適当にしていたこと、
わたしがずっとラクしたくて、適当にしていたこと。


***


そこからわたしは少しだけ落ち着いて、
仕事が変わって、土日休みのOLになった。

1年間、編集の仕事をしたけれど、
それはもう、大きな組織に守られたゆりかごのような場所だった。
心地よく、ゆらゆら。

しかしいつの間にか、世界と、わたしの周りでは、
新型コロナウィルスという感染症が流行り、
ワンフロアのゆりかごは、きゅっとわたしの部屋のサイズまで小さくなり、
わたしは手狭なワンルームに閉じ込められることとなった。

暇だな、とか、
なんかなんもやりたくないな、とか、
誰かなんとかしてくんないかな、とか、

そう思えば思うほど、空虚になった。


ま、大きなゆりかご時代から、実は少しだけ感じていたのだ。
わたしが動かなければ何も始まらなかった、
あの深夜の時の止まった小さな教室とは違って、
新しいフロアには大きな渦と流れがあって、
いかに忠実に歯車となって動くかということが
わたしの存在価値であったわけなので、

誰かがなんとかしてくんねーかな、と、
ぽかんと空いた時間で、誰かなんとかしてくんねーかな、と。


そうやって。
なんと、まあ、暇になったからなのか。

好かれて、好きになって、そんなひとが、できてしまった。

わたしには付き合っていた彼氏がいた。
好きなひとができたからには、
彼氏をどうにかしなくてはいけないのだが、
なんとも恥ずかしいことに、
わたしはうまく関係を精算することができなかった。

一週間ばかし、泣いた。


1年半前、自分を責めてばかりのわたしは、しょうもなかったが、
今のわたしも、結局、実に、しょうもない。

あの時やりたかったこととか、あんなにあったのに。
やれるようになったら、なったで、なんもやらんとは。
人間関係もぼんやりして。

おめー。
おめーが好きだったんじゃなかったのかよ。

お世話になったひとも、好きになったひとも、なんもちゃんとできないで。結局、誰かが、なんか、うまくやって、どうにかいいようになると、
そう、思ってたんだろうよ。

そうやって泣いて、泣いて、
しょうがないからまた、償うことを始めようと思った。

誰かはなんも、してくんないのよ。
わたしがなんかするしか、どうしようもないってわけなのよ。


***


わたしは1年半前のあの時、誰のための償いをしていたのだろう。

きっと、じぶんを、許したかったんだよな。
消耗して、疲れたわたしを許すために、
わたしが今まで適当にしてきたことを償おうと思ったんだよな。

わたしを許すことは、わたしにしか、できない。
わたしを許す、ということを選ぶのは、わたしにしか、できない。

仕方ないなあ、それなら、また、頑張りますので。
わたしと、
あともし同じような思いをしている誰かがいるのなら、そのひとのために、
また、なんとかやってみますので。

振り返って、向き合って、言葉にして、また選択して。
なんとか、前に、進みますから。


きっとその様、這いつくばったカエルみたいなんだろうからさあ。
本当お前ってバカだよなって、
笑ってくれよな。


2020. 05. 25.

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