【短編小説】かみさまごろし
かみさまごろし
津山詩織は、自分が神になるべきだと考えていた。自分こそ正しく、自分だけが正しいと、いつも思っていた。
世の中に蔓延る他人は皆愚かだったし、その他人のことを、慈愛の精神を持って救いたいと、心の底から願っていた。
だが神様になる方法が分からなかった。既存の宗教についても調べたが、どれも自分自身の正しさには勝てないと判断して、参考にすらしなかった。
津山には友人が居た。綾川愛佳と言う名の、一般企業に勤める会社員だった。
二人は高校からの友人で、よく二人きりで食事をしたり、遊びに出かけたりしていた。
津山は真っ先に綾川に神様になるにはどうしたら良いのか相談した。
「神様になるって……どういうことよ」
綾川はフォークで突き刺したハンバーグを口に突っ込んだ。
「神様は神様だよ。私が神様になるの。みんなを導いてその罪を許すの」
津山はオレンジジュースをごくごく飲んだ。氷も口の中に入れて無遠慮に噛み砕いた。
ファミレスの片隅。二人は黙々と密談を進めている。
「全然分からないよ……仏とか、キリストとかになりたい訳?」
「簡単に言えばそう。けれどあんな神様じゃなくてさ……」
「あんなって……信じてる人たちも沢山いるんだよ」
綾川は津山にフォークを向けて口を尖らせながら言った。
「そんなのどうでもいいよ。そんな事より、私が神様になる方法なんだってば」
津山が綾川に詰め寄った。綾川はしばらく何も言わずにハンバーグを味わっていたが、やがて口を開いた。
「他の神様が皆いなくなればいいんじゃない」
そう、ぶっきらぼうに言った。
津山はそれは名案だと、そう思った。しかし口には出さなかった。綾川は何も言うなと言うように米を口の中に放り込んだ。
綾川はただハンバーグを食べていて、津山はオレンジジュースを飲み続け、氷を噛み砕き続けた。
「無理だよ、津山には」
綾川はそう言い放つ。
「そう」
津山はそれだけ言った。オレンジジュースを飲み干したところで、綾川も食事を終えたようだった。
それから、他愛もない話を二人は交わした。記憶にも残らず、特筆して記録する事の無い事だ。とにかくそれを二人は並べ立てたし、それを心の底から楽しんだ。
「それじゃあ」
綾川は席を立った。合わせて津山も席を立つ。津山はばらばらと綾川の手に小銭を乗せると、伝票をレジまで持って行った。
当たり前のように綾川が金を払って退店。津山は入り口を出て、綾川を待っていた。
「行こう」
どちらともなく歩き出す。
津山は飛び跳ねるように歩いた。なんでもない。それが彼女の癖なのだ。綾川は歩くのに慣れているから、真っ直ぐ歩く。
綾川の目の前から、津山が消えた。足元を見ると、津山が地べたに突っ伏していた。どうしようもない。段差につまづいて転んだようだ。
「ほら」
しょうがないな、と綾川は手を差し出した。
その時、津山は神を見た。
私のために差し伸べられた手。その奥には優しい瞳を携えた、綾川。後光が差し、私を煌々と照らし出している。
それを見て津山は思わず綾川を崇め奉りそうになった。全てを投げ打って、この神に仕え、捧げ、祈りたいと思った。
「大丈夫?」
綾川は津山にそう言った。
その美しい声が、私に向かって投げかけられている。畏れ多くもその手を取った。何者も愛するその大きな御心があるからこそ、私のような者にも手を差し伸べてくださるのだ。
あぁ、と詠嘆の声を漏らす。私は貴方に出会うために産まれてきたのだ。
津山は立ち上がった。恍惚とした表情で綾川を見つめたが、そこにはもう神はいなかった。
「どうしたの? 怪我した?」
「え? ううん、大丈夫」
津山は首を振った。先程の神は幻だったのか。
いつものように駅で別れ、家に帰り、風呂に入り、布団に入る。
何度も何度も津山は寝返りを繰り返していた。忘れられない。目の前に神がいた事を。
あれは綾川であって、神であった。いや、神が私以外に存在するなど考えられない。
きっと、あの時見た後光はただの街灯だったのだ。神など居ない。神など居ない。私以外に神など居ない…………
目を覚ました。いつの間にか眠っていたようだ。
憎き朝日が差し込んでいる。津山は飛び起きて顔を洗った。
昨日のことがまだ忘れられない。あれは本当に神だった。一日経って思い出して考えてみても、あの時見たものは確かに神だった。顎から滴る水の音を数えた。落ち着く時はこうするのが一番なのだ。56まで数えたところでもう一度考えた。いや、確かにあれは神だった。
手を伸ばしてタオルを取る。顔をその中に沈めながら、綾川が神であることを津山は飲み込んだ。
綾川愛佳は神である。
そうなると、重大な問題が発生する。
私はどうなる。私こそが、いや、私だけが、神であるべきなのに。
どうすればいいのか。私はどうしたらいいのか。
津山はタオルから顔を離すと、ぐるぐるとその場で回った。津山は考え込む時いつもこうする。
そういえば、綾川は昨日、私が神様になるには他の神様がみんな居なくなればいい、と言っていた。
それが答えではないか。
回ることを止めて、洗面用品を片付けてしまうと、台所で賞味期限切れのパンを手に取る。
津山はパンを口に運び込んだ。ぐちゃぐちゃとパンを噛み砕きながら考える。
そうなると問題は、どうしたら綾川が居なくなるのか、というところに尽きる。
いくら綾川が尊い神であろうと、この世に存在してしまえば、津山は神として世の全てを導くことは出来なくなる。神として皆を導き、救うことだけが津山の望みだったし、生きる希望であった。
パンを手に持ったままその場で回る。
三周ほどしたところで、すぐにどうすれば良いのかが分かった。
綾川が死ねば良い。
そうすれば、神は消える。
私だけが神になる。
そうと決まれば、善は急げだ。さっさと身支度を終えて、綾川の家へ向かう。今日は休日だから家にいるはずだ。隙を見て殺してしまおう。殺すのは、きっとどうにかなる。津山は神であるから、運命も味方するとそう考えていた。
最寄り駅から電車で15分、快速を使えばそのくらいの時間で辿り着ける。
綾川の住むアパートの203号室。その扉の前に津山は立っていた。
インターフォンを押すその手が震えている。恐怖からでは無い。これから神になる悦びに打ち震えているのだ。
ピンポーン…………
チャイム音が鳴り響く。妙に静まり返った辺り一帯に響き渡った。
津山は、踵でリズムを取りながら綾川が顔を出すのを待っていた。
しかし、いくら待っても綾川は顔を出さない。眠っているのかと思い、もう一度インターフォンを押す。それでも出てこない。
扉に耳をつけた。何も聞こえない。それどころか、人の気配すら感じられない。
虫の知らせか、津山は迷うことなくドアノブを捻った。
当たり前のように扉は開いた。蝶番が喚きながら部屋の内部が顕になる。
「おじゃまします」
津山は部屋に上がり込む。一番奥の机の傍に誰かが倒れている。考えなくても綾川だろうが。
机の周りには陶器の破片が散らばっていて、床は何かでびしょ濡れになっている。机の上に、遺書とワープロで書かれた封筒が置いてあった。
津山は靴下が濡れることも辞さず、封筒を拾い上げ力を込めて破り捨てた。
青白い綾川の顔にはらはらと紙片が落ちていく。
右の手の中にあった湯呑みが、コロコロと壁に向かって転がっていくのを見た。
綾川愛佳は死んだ。
津山詩織は、神になった。
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