【短編小説】部屋と空き缶と君の遺体と
清原恭介は重たい身体を起こした。
くそ……昨日の記憶が全然無い……
頭が…………頭が……痛い………………
立ち上がると、無数の空き缶がゴロゴロと足にまとわりついてくる。
蹴飛ばしながら歩くと、今岡翔吾が床に転がっているのが見えた。
「おい、起きろよ。ここ、俺の家なんだけど」
そう言って首筋に手が触れた時、あまりの冷たさに背筋が凍りそうだった。
死んでいる…………?
首筋や手首で脈を探しても一向に脈は見つからず、鼻の前にかざした手の平の中には、淀んだ空気があるだけだった。
もうこれの中に命は無い。
辺りを見渡す。この部屋には俺しかいない。
もしかして俺が…………?
途端、脳みそがぐるぐると動き始めた。
あられもない妄想が、頭の中を駆け回る。
酒を飲みながら今岡は笑っていて、俺はその後頭部を見ている。
手の中に握りしめられた紐のような何かを、首に巻き付ける。
今岡の苦しむ姿が、紐を伝って俺の手のひらに届く。
それに構いもせず、俺は力を入れて、その首を絞めた……
ぶんぶんと首を振る。
こんなことある訳がない。俺は友達を殺すような奴じゃない。
今岡の首についた一筋の青い痣が、俺にそんな妄想を見せたんだ。
俺じゃない、俺じゃない、俺じゃない…………
頭を抱えていた腕を離す。
そんな事を考えている場合じゃない。大切なのは、俺の家に今岡の死体があるということだ。
隠さなければ。
そう思った。
それもそうだ。ここにこんなものがあっては、あらぬ疑いをかけられてしまう。
死体を隠さなければ。
俺の身体は自然と、今岡の身体に向かっていた。
俺の中には今岡を殺したのは俺なのだという確信に近いものがあるのかもしれないし、罪悪感から今岡を隠そうとしているのかもしれない。
けれどどちらも本心では無いような気がした。全ての考えが浮いて消えてしまうような、そんな感覚に襲われていた。
とにかく、今岡をどうにかして隠さなければ。考える暇はない。
腰と頭の部分に手を差し込んで持ち上げる。
持ち上がらなかった。まず、運搬をどうするかだ。
バラバラにするか。いや、それは手間がかかりすぎる。なにより、早くこの部屋から運び出したい。第一、切った時に流れた血はどのように処理するというのだ。バラバラにするアイデアは、良いとは言えない。
毛布で包んで引きずって行こうか。
いや、毛布の処理はどうする。それに、死体を引きずってアパートを出れば、いくら夜だとしても……誰かに見つかる可能性が……
今何時だ?
スマートフォンの表示を確認する。
2時47分。
思っていたより早い時間で安心した。そっと胸を撫で下ろす。
しかし、のんびりしている時間は無い。
顔を上げるとスーツケースが目に入った。
そうだ、今岡はどこかに出かけた帰りに俺の家に寄ったんだ。
スーツケースを空けると、なぜか中身は空っぽだった。
今岡は空のスーツケースを引きずってここまで来たのだろうか。
いや、そんな事を考えている意味は無い。
今岡をこの中に詰め込まないと。
スーツケースを今岡の傍らに持っていき、その体を転がすようにスーツケースの中に放り込む。
手足がはみ出してとても閉まりそうもない。
どうにかしてこの中に入れないと。
横向きにして、足を曲げ、2つに折りたたむ。
空いているスペースに腕やなんやらを詰め込む。蓋を閉めてみる。
少し浮くが、思い切り閉めれば閉まるだろう。
蓋の上に乗って体重をかける。
俺の重さで蓋が沈みこんだところを金具を押し込んで蓋を閉める。
パチン、と音がして無事にスーツケースは閉まる。
そのまま倒れ込むようにスーツケースに耳をつける。ひんやりとしたそれが熱い頬を冷ます。
この中に入っているのが、今岡の死体だなんて信じられない。あまりにも現実離れし過ぎて、何も思わない。
こうして隠してしまうと、先程まで見ていたあの死体も、幻だったのではないかとさえ思えた。
そんなことは無いのだが。
空き缶が俺の足に当たって大きな音をたてる。
クソ、と悪態をつきながら拾い上げた。今岡の飲み終えた缶は横から乱暴に潰されている。これも、片付けなきゃならないな。
ビニール袋を用意して、その中にガシャガシャと詰めていく。
作業を進めながら、何となくうわの空だった。
空き缶の音を聞いていると、落ち着くのかもしれない。
ひと息ついて床に倒れ込む。目覚める前に酒を飲んでいたのもあるだろうが、酷く疲れた。もう何もしたくない。けれど、この死体をどうにかしないと……
スマートフォンを開く。時刻は3時を回っていた。
スーツケースに入れたは良いが、この後どうしようか。山にでも埋めようか。以前、キャンプに行った時に使った、折り畳み式のスコップがあったはずだ。
近くの山、と検索バーに入れて検索する。地図と名前が3つほど出てくる。
どこも遠い。俺の住んでいる市からとんでもなく遠いじゃないか。全然近くない。
スクロールしていくと、ほかの候補地も出てくる。
森林公園。そうか。公園にも人の手がつけられていない森のような場所があるな。大きい公園なら尚更。それに、まさか公園に死体が埋められているなんて考えもしないだろう。
近くの公園、で検索してみる。
画像付きで出てきた公園の中で一番広そうな公園を選んだ。
ここから徒歩20分らしい。ここがいいな。
手早く身支度を整えた。
スプリングコートに帽子をかぶり、マスクに伊達メガネ。
死体を隠しに行く格好にしてはあまりにもベタ過ぎるか?
いや、これで良い。他に服も無いし。
スーツケースをゴロゴロと引いていく。
玄関を開けると、冷たい空気がさらさらと部屋に流れ込んできた。
一息吸うと、肺の中に爽やかな夜の空気が侵入する。
とても心地が良かった。
ゴロゴロ音を立ててスーツケースを押していく。アパートの階段を降りるのには苦労した。それもそうだ。大人が1人、この中に詰め込まれている。
タイヤとコンクリートが擦れる音が夜道に響き渡った。静寂の中の激しい孤独。
この町に生きているのは俺だけのような気がした。
死体を隠すには好都合だ。
あくまで、ただ、移動しているだけなのだ。
ただ、スーツケースを引いて夜道を散歩しているだけなのだ。公園に散歩をしに行くだけだ。
俺は、今岡の事など知らない。
20分程歩くと、公園に辿り着いた。
わざわざ入口の横に公園名まで書いてある。
公園の中を進んでいく。ベンチにはカップルがべたべたと寄り添いあっている。
酒の缶を並べた馬鹿も大声で笑い合っている。
案外こんな時間でも人がいるんだな。
気にせずに歩く。
誰も俺の事など見ていないのだから。
奥の方へ行くと、森のように木が生い茂る場所に出る。
そこの真ん中は小さな丘になっていて、細い道が螺旋状に続いている。その頂上は小さな広場があって、公園を見下ろすことが出来る。
小道を進んでいく。薄暗い電灯の光がスーツケースを引く俺の影を作る。
その影にせっつかれるように、足を早めた。丘の頂上に到着する。低い柵に囲まれて、公園が一望できた。
奥の方には煌々と輝く街の光。あの中の一つに俺は住み着いていて、その中の一つの命が今日消えた。
不思議だな。俺がその一端を担っているなんて。
風が頬を撫でる。
余韻に浸る間も無く、くるりと振り返り、森側に向き直した。ふぅ、と息をつくと、柵の向こう側にスーツケースを投げ落とす。
鈍い音を立ててスーツケースは森の中に転がっていく。俺も柵を飛び越えて転がる。
小枝や枯れ葉が襲いかかってきた。
目を瞑って我慢していると、回転が止まる。
目を開くと、スーツケースもそこにあった。
どうやら平らな場所に出たらしい。
それにしても、今岡と同じ場所で止まるなんて。
これはきっと神の啓示だ。ここに今岡を埋めろという。
折り畳み式のスコップを取り出す。しっかりと手に握り締めると、土に向かって振り下ろす。
ガリ、と小さな音がして、土が削れた。
想定よりかなり土が固い。苦労しそうだ。
一心不乱に穴を掘っていく。
掘れども掘れども、穴は一向に深くならない。
湿り気を含んだ土なのか。雨降って地固まったのか。
重たく、スコップが入って行かない。体重をかけて掘っていったりするも、うまく行かない。
手が痛い。タコができてそのまま潰れたようだ。体液と汗でスコップが滑る。
それでも掘り続ける。痛みと苦しみに耐えて。
修行僧のような洗練された気持ちだった。掘れば掘るほど、自分の心が研ぎ澄まされ、透明になっていくようだった。
これが悟りというものなのかと、どこかで思った。
土が積み上がり、穴が深くなっていく事に、どこか達成感を覚えて顔を上げた。
今岡を埋めるには十分すぎるほどの穴が完成していた。
朝日に顔を照らされながら汗を拭うと、墓穴から這い出した。
街が目覚める音がする。
スーツケースから今岡を取り出して、穴の中に放り込んだ。
生きている人間にはあり得ない形で今岡はその中に収まった。
思わず寒気がする。
身震いをその時、何かがポケットからはみ出しているのが見えた。
手を伸ばして拾い上げる。
遺書。
あぁ、俺のしたことは徒労だったのか。元から殺人など起こっていなかったのだ。
隠さず、俺はこの遺書を警察に突き出すだけで救われたのだ。
なんて事を。これで俺はめでたく犯罪者だ。
俺がお前の死を穢したことを、許してくれ。
別れを告げて土を被せる。どうか、安らかに眠ってくれ。
スーツケースとスコップを持ち、森から出る。公園らしい道に出た。朝から生真面目にランナーが数人走っている。
スーツケースを転がしながら、激しい疲労感に襲われる。
全てが終わって気が抜けたのだろう。少し、休んでいこう。
ベンチに座り、ランナーたちを眺める。
ただ、眺めているだけだった。
そういえばと、ポケットから先ほどの遺書を取り出し開いた。
先立つ不孝をお許しください。
この字、どこかで見たことがある。
頭を必死に回転させて、思い出す。
「俺の字だ…………」