余計な言葉
僕は、家族としての役割として母親とスーパーへ買い物に行く事がよくある。
単に母親の負担を減らす為に付き添っている訳だが、そんな消極的な行動だけでなく、積極的な行動もしなければならない。
店内では、買い物カートを押したり袋詰めをしたり。ただ、それは毎回完璧に出来る訳ではなく、ミスをしてしまう事も度々ある。
ミスをすると、母親から注意される。
そりゃそうだ。僕のミスなのだから。
しかし、最近この注意に関して納得出来ない事があった。
この日は、お茶を一箱分買っていた。そして、買い物が終わり家に帰った後、母親に「お茶の箱を畳んで、コーヒーの箱にお茶を入れて」と頼まれた。というのも、元々家には、お茶が一本が入ったコーヒーの箱があった。だから、そのコーヒーの箱に今日買ったお茶を入れて入らなかった分は上に乗せる。そして、今日買ったお茶が入っていた箱は畳む。そうすれば良いと思ったのだ。
僕はなんの疑問も持たずその指示に従い、任務を遂行した。
しかし、母親に注意されてしまった。
「コーヒーの箱を畳めって言ったよね!」
僕は困惑した。僕は指示自体を聞き間違えていたらしい。
でも、それ以前に、よく考えてみれば、コーヒーの箱を畳んだ方が効率が良いのは明らかだった。
注意されて肩を落としてしまった僕は「本当にこういうミス多いよな・・・」なんて思っていた。
すると、母親は色々と感情的に言葉をぶつけてきた。
「頭が悪いんだよ」
「じゃあ、コーヒーの箱にお茶を入れたって事?はあ?頭おかしいんじゃねえの!?」
確かにそうだ。指示を聞き間違えてしまった上に、瞬発的に効率の良い選択に切り替える事ができなかったのは頭が悪い。
ただ、これは“頭がおかしい”という事なのだろうか。この時だけは、僕の思考回路が瞬発的に働いて、すぐにこの疑問が頭の中に生まれた。
いくら感情的だからといって、そこまで言う必要があったのだろうか。正直、かなり傷ついた。今思えば、恐らく、あのようなひと言が成長すると立派な誹謗中傷になってしまうのだろう。
そして、僕はこのような余計な注意を今後他人にしないようにしなければならないなと思った。
特に今回のような状況、いわゆる親が子に注意する場合において、いくら感情的になろうとも「頭がおかしい」なんて言葉で片付けてはいけないなと、その言葉を喰らったからこそ強く感じた。
良いのか悪いのか、一概に言い切る事は出来ないが、この一件を通して今の時期だからこそ得ておくべき大切な教訓を得ることが出来た気がした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?