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「問う力」の大切さ③新しい世界を創る
3/1、無事に次世代の教科書のサイトローンチを果たした。
今回は、次世代の教科書が学びのテーマにしている「問い」の面白さと価値について深ぼってみよう。
ティッシュの語源を知っていますか
前回までの記事で語ったように、先行き不透明な時代を生き抜くために必要だとか、情報を賢く見極めるために役立つだとか、生きていく上でのある種の実用性が「問うこと」の価値の大きな要素であることは間違いない。
だが、それと同じかそれ以上に大切だと思うのは、「問うこと」が新しい世界を創り出すことそのものということだ。
例えば、今この文章を書いているPCの横にボックスティッシュがある。
それに対してふとこんなことを思う。
「ティッシュってなんで"ティッシュ"って言うんだろう?」
気づいても気づかなくても日常生活には支障のないような、小さな小さな問い。でも、その問いにほんの少し向き合ってみるとどうなるだろう?
現代的に行こう。
「ティッシュ 語源」でGoogle検索にかけてみる。
すると、こんな記事が出てくる。
どうやらティッシュの語源はフランス語で「織物」を意味する"tissu"から来ているらしい。ふむふむ。たしかに紙の繊維が織り込まれてティッシュになっているよね。納得。
問いをたたみかける
ここで終わって仕事に戻ってもいいのだけれど、なんとはなしに他の検索結果も見てみる。するとこんな記事にぶち当たる。
ティッシュペーパーの起源は、第一次世界大戦でガスマスクに使われていたところからなのか、なるほど。当初は思いもよらなかった知識が手に入った。これだけでも「ティッシュ」という何気ない生活用品に興味深いストーリーが生まれ、世界が広がる。
でも、ここでもう少し問いかけを続けてみよう。
「この起源は本当に正しいのか?」
だって、ガスマスクに使われていたのが起源なんてあまりにもドラマチックで、少し嘘くさい。提示された答えに対して、少し意地悪になってみるというのも良質な「問いかけ」の1つの技法だ。
Wikipedia の「ティッシュ」の項目を見てみると、次のようにある。
第一次世界大戦中にアメリカのキンバリー・クラーク社が外科手術用脱脂綿の代用品として開発したセルコットンを由来とする[12]。吸収力を高めたものはガスマスクのフィルターとしても使用された。
なるほど、たしかにガスマスクには使われていたようだけど、その前に外科手術用の脱脂綿の代替品として使われていたのが最初みたいだ。
でも待てよ。Wikipediaは誰でも編集可能なプラットフォームで、学術的な裏付けがあるわけではない。この情報の出典はどこなんだろう?
すると、こんなサイトに行き着いた。
「紙の博物館」という、東京にある紙専門の博物館が出している情報らしい。なるほど、学術的なデータに基づいているようだし、これならかなり信憑性は高い。あと、そもそも「レファレンス共同データベース」なるものが存在することも初めて知った。こういうものがすぐにネットで検索できる社会はやはり便利だな。
………
………
………
楽しい。
ティッシュに対する素朴な疑問から、世界史に通ずる学びと、なんだか魅惑的なスポットやサービスについての知識が得られた。
今回はティッシュについて深ぼってみたけれど、途中で出てきたガスマスクと第一次世界大戦のことについて深ぼってみるのも面白いかもしれない。
そうなったら、きっとネットだけじゃなくて図書館でしっかりとした文献に当たってみたほうが良い気がする。
今度の日曜、久しぶりに近所の図書館に行ってみるか……。あと「紙の博物館」にもいつか行ってみよう。
なんでもないものにストーリーを生む
これらすべてが、普通に生活している中では(おそらく一生)得られない、というか得る必要がないと思われているプロセスだ。
だけど、現にこうして少し問いに向き合ってみることで、新しい世界への入り口が開けたような感じがする。
少なくとも、今後ティッシュを見るたびにガスマスクを想起できるくらいの想像力の幅ができた(それはそれで困るかもしれないけど)。
なんにせよ、普段は無視してしまうような物に、ひとつの新しいストーリーが生まれた。
新しいストーリーが生まれるということは、今まで気づかなかった新しい世界が自分の中に創られたということだ。
これってとても楽しいことだと思うのだけれど、皆さんはどうだろうか。
良い問いを立てることは、良い世界を創ること
もちろん、問いかけの仕方や、問いに対するアプローチの仕方はこれだけではない。
ネットで調べたり、本を読んだだけでは出てこない答えもある。
そういう答えは、自分自身が作っていくしかない。
たとえば、自分の将来の進路や仕事について。
なかなか解決できそうにない多くの社会問題について。
幸せに生きるということについて。
そういった問題に向き合うのは、多くの場合とても苦痛の伴う作業だ。
でも、「問う」ことの先に新しい世界の発見の可能性があり、「問う」ことが本来とても楽しいものだと知っていれば、その困難もひとつのバネにできる。
だから、良い問いを立てるってことは、良い世界を創るってことそのものなんだ。
私達がこれからやろうとしていることは、そういう未来への挑戦だ。