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「問う力」の大切さ ①自分だけの答えを見つける


金風舎の新しい出版シリーズである「次世代の教科書」。
3/1、無事にそのサイトローンチを果たした。

今回から続けて、次世代の教科書が学びのテーマにしている「問い」の価値の根拠を探っていこう。

「問い」の大切さ

これからの時代を生き抜く上で、どんな人にも必ず役に立つと思う力がある。
それは、「問い」を立てる力だ。

与えられた問いに、期待された答えを出し続けていれば幸福に生きられる時代は終わった。
これからは、自分なりの幸福を見つけるための「問い」に気づくことのほうが大切になっていくだろう。
それは、ここ数年の私達の生活の変化を振り返ってみれば、より強い実感として得られるだろう。

考えてみたら人生というのはそもそも、様々な問いにぶつかって、その都度自分なりの答えを出していくということの連続だと思う。

だが、これからはより一層「自分だけの」問いに向き合って、答えを出せるようになる必要がある。

なぜか。

私達の人生を保証してくれる「大きな力」がなくなりつつあるからだ。
それまでは、学歴だったり会社だったり役職だったりといった「大きな力」が人生を保証してくれるという希望があった。

その希望があるから、そのゴールにむけてひたむきに頑張れたし、その過程で必要な勉強にあまり疑問を持たずとも、ある程度幸せに生きるが出来た。

でもこれからは違う。

なんで今これを自分が勉強するのか?
なんで今学校に自分が通うのか?なんでこの進路を自分が選択するのか?
なんで自分はこれが好きなのか?なんでこれが自分は嫌いなのか?

あらゆる問いを自分自身に引き寄せて考えて、その問いに自分なりの答えを出して進んでいくというスタンスが根底になければ、人生で予想外のイベントにぶち当たったときに途方に暮れてしまうだろう。

そしておそらく、「予想外」はこれからまた必ず起こるのだ(コロナウイルスで社会の状況が一変してしまうなんて、誰が正確に予測できただろう?)。

一世一代の「問い」のための予行演習

これから先、生きていれば必ず一度や二度は、真正面から「問い」を突きつけられる瞬間がある。
それは進路や仕事を選ぶときかもしれないし、友人や家族と衝突するときかもしれない。
そういうとき、否応なく「なんで?」を考えることになるのだけれど、正直、その問いに真剣に向き合うのは相当骨が折れる。

そんなとき、人は大抵深く考えるのをやめて、わかりやすい答えや、みんなが選んでいそうな答えに飛びつきがちだ。

困難な状況から逃れるためだけを考えたら、その選択は正しい。
でも、そういう人生の大切な分岐点で、その場しのぎで「なんとなく」や「面倒くさくない」答えを選ぶのは、長い目で見ればとても危険なことだ。

なんとなくで道を選んでも、結局その先で違和感を覚えて立ち止まってしまうことが多いだろう。
そのとき、また自分に問いを突きつけて向き合えればいい。
だが、その場しのぎで人生を過ごしてきてしまえば、困難が降り掛かったときにきっとまた安易な答えを選んでしまう。
行き着く先に待っているのは、挑戦しない言い訳ばかりを並べ立て、うまく行かないことを時代のせいや過去の自分のせいにする姿だ。

今のはかなり極端な話だけれど、つまりは面倒くさい問いほど、早いうちに向き合って、うまく対処できるようになっていたほうがいい、ということ。

自分らしさというのは、誰かと違う自分であろうとすることではなくて、こういった「問い」に対して自分なりに答えを出し続けようとする姿勢に宿ると思っている。

そしてその力は、きっと訓練すれば身につく。

訓練とは、要するに「良質な問いに常日頃から触れていること」そして「それに対して自分なりの答えを出した経験を持っていること」だと思う。
いつか自分自身に降り掛かる逃れられない問いに直面する前に、予行演習として「与えられた問い」に向き合う力を育てるわけだ。

次世代の教科書は、まさにその「問いの予行演習」が出来るように設計している。
それも、ごくシンプルなやり方で。

②に続く


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