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「気をつける」ということ

変に思われそうで、悩んでることを周囲に話してこなかったが、
私はずっと、「気をつける」ということがよくわからない。

今も、このぼんやり「わかった」感覚が、正解なのか、すぐまたわからなくなってしまわないか、不安に思いながら書いている。

私が出かけるときには母や祖母が「気をつけて」と見送ってくれた。小さい頃からずっとだ。
今は私が、「気をつけて」と夫を見送る。

「はーい」と返事をしても、自分が誰かにその言葉をかけていても、それがどういう行動を意味するのか、実は私にはわからない。
どうやったら気をつけられるのか、気をつけたことになるのか、悩んでしまう。
同じ類の言葉が「無理しないで」だ。

もっと具体的に、
「これこれこうしてしまうと危ないから、こうしなさい」
とか、
「体や心がこんな風になったら限界のサインだから、このくらいでやめておきましょう」
とか、具体的に表さないとやりようがない。みんなどうしてるのか。

だから私は、よくケガをするし、体調不良を起こして寝込むまでヘトヘトになることもある。
割といつも満身創痍だ。
起こってしまったケガや病気を、お金と時間をかけて治すという対症療法が基本。

「気をつけるってどういうこと?」なんて、きっと考えることでもないのだろう。

でもそれって、具体的な「気をつけ方」がわからないのが問題じゃなかったんだと、最近気づいた。

"自分を大事に思う気持ち"が、私には無かった。
それが無いから、安全な方法を考え落ち着いて行動することを、してこなかった。
周囲の人がかかわることは慎重だが、自分に対しては投げやりで、イチかバチかで動いていることも多い。

普通の人にとっては当然のことなのかもしれない。でも、「気をつける」とは?がなんとなくわかったことは、私にとってはすごく、すごく大きなことだ。

気をつけることは、自分を大事に思うことがスタートだったんだ。

私には、こういうことが結構あるのかもしれない。
気づかずに、自分を傷つけて生きてきたこと。
この年齢だけれど、焦らず、一つひとつ気づきを大事に感じていきたい。

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