言葉と音の箱庭 ピアノ弾きのお仕事 歌曲伴奏者 前編
お久しぶりです。
ドイツ在住ピアノ弾き
管楽器コレペティトールのきもらです。
ピアノ弾きのお仕事シリーズも最後というところで
なんと1年も間が空いてしまいました。
その間に私生活がガラッと変わってしまっていたのでご容赦を・・・
そちらはまた追い追い書くということで今回は本題のシリーズ最終章。
いままでのシリーズはこちらをご覧ください↓
最後はいままでのコレペティシリーズとはまた少し違った、
歌曲伴奏者
について触れていこうと思います。
この一年の間に何度か書こうとしたのですが、
なかなか書けずにいたのは
私がもともと歌曲伴奏者を目指していたから。
ドイツに来たきっかけともいえる思い入れのあるものなので
どこまで書くべきか、
どう書くべきか
悩んでいる間に
逆に書きにくくなってしまいました。
(今回は勢いで書いているので
もしかしたらはちゃめちゃになってるかも。。。)
さてこの歌曲伴奏者。
いままで書いてきたピアノ弾きのお仕事の中で
一番近いものは何かというと
一番最初に書いたCollaborative Pianistかと思います
Collaborative Pianist についてはこちら↓
伴奏ではなく共に作り上げていくピアニスト。
ちょっと違うのは
Collaborative Pianist がジャンル問わずに
お仕事をするのに対して
歌曲伴奏者は歌曲に特化しています
そもそも歌曲とは
オペラと歌曲って何が違うの?
これ、よく質問されます。
ざっくり言うと、
オペラ→劇+音楽
歌曲→詩+音楽
になるかと思います
*ただし同じ小説を題材にして
演劇つきのオペラにも、
セリフやモノローグだけを取り出して
歌曲にすることもあります
詩+音楽ってどういう風になるの?
と思われる方もいらっしゃるかと思いますが
皆さん結構幼少の頃に触れられてると思いますよ。
小学校などで習う
滝廉太郎作曲の「花」
シューベルト作曲の「魔王」
などなど。
じゃあ、普通のPopsなどの歌と何がちがうの?
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
歌曲で最も大切な要素は”詩”
歌曲はほとんどが
始めに詩ありき
なのです。
クラシック音楽のジャンルとして
確立されている歌曲ですが
もともとは
作曲家が詩人の書いた詩に惚れ込み
曲をつけているのです。
日本の歌曲でいうと
北原白秋や、石川啄木、金子みすゞ
といった詩人たちの詩に
滝廉太郎や、山田耕作、中田喜直といった
巨匠たちが曲をつけてきました。
(現代の作曲家たちも
素敵な歌曲をたくさん生み出しているので
気になった方はぜひ調べてみてくださいね)
詩人たちの詩に感銘をうけて
作曲家たちが曲をつけるので
当然同じ詩に
違う作曲家が曲を書くこともあります。
有名どころだと
加藤周一の「さくら横丁」
中田喜直と別宮貞夫が曲をつけていて
どちらも甲乙つけがたい名曲になっています。
日本にも数々の歌曲があるように
そこに詩(文学)があれば
歌曲があるので、
世界中に色んな言語の歌曲があります。
その中でも
歌曲というジャンルを確立させたのが
ドイツ歌曲
時代だったのか
偶然だったのか
ドイツで素晴らしい詩人や文豪たちだけでなく
素晴らしい作曲家たちが生まれ
中世当時は今以上に
文学と音楽は密接に関係していました。
そしてそこに”哲学”という重要な要素が含まれていました。
ゲーテやハイネ、シラー、アイヒェンドルフなどなど
数々の詩人、哲人(文豪)が生まれ、
ほぼ同時代に生まれた
ツェルター、シューベルト、シューマンが
そこにインスピレーションを受け
星の数ほどの歌曲を書き
そこに引き続き
ブラームスやシュトラウス
マーラーなどが牽引していきます。
もちろんモーツァルトやベートーベンも
歌曲をかいていますよ!
ですが本格的に歌曲を広めたのは
ツェルター、シューベルト、シューマンでしょう。
シューベルトは日本でも
歌曲の王
として知られていますね。
ドイツでは当時
オペラのような華やかなものよりも
知識人や、仲間であつまって
哲学や政治を議論したり
(これはザ・ドイツですね)
小さなサロンで
演奏を披露したり
というのがスタンダードでした。
当時の音楽家は
今以上に哲学家であり
知識人であり
そういう要素が
詩人×音楽家
という化学反応を引き起こしたのでしょうね。
少しわかりにくい説明になってしまいましたが
歌曲の説明はざっくりですが
この辺でやめておきましょう。
歌曲伴奏者の話になる前に
歌曲の話が長くなってしまったので
今日のところはここまで。
なぜタイトルに
”箱庭”
とつけたのか。
それを含めて次回は
歌曲伴奏者というお仕事の
魅力をお伝えできればと思います。
それではまた後編で!
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