住吉界隈いま・むかし[28]【住吉名物難波屋の笠松(現住之江区安立1丁目1番20号付近)】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
「阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。
これまで27回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。
① 帝塚山古墳 (帝塚山西2-8)
② 青果市場 (上住吉2丁目16番付近)
③ 住吉座 (上住吉2丁目13番付近)
④ 墨江村大字上住吉 (上住吉1丁目付近)
⑤ 大正末期の蹄鐵工場 {万代6丁目9番(ガソリンスタンド横)}
⑥ 細江川 (細井川)
⑦ 墨江村大字遠里小野 (墨江東7丁目付近)
⑧ 墨江園 (墨江2丁目4・5番)
⑨ 止止呂支比売命神社(若松神社) (沢ノ町1丁目10番4号)
➉ 墨江村大字澤の口 (現墨江4丁目5~7番付近)
⑪ 墨江村大字殿辻 (墨江2丁目付近)
⑫ 昭和初期の墨江尋常高等小学校 (墨江2丁目3番46号)
⑬ 津守寺 (墨江2丁目3番46号)
⑭ 墨江村大字千躰 (墨江1~3丁目・千躰1・2丁目))
⑮ おいとしぼし大神 (墨江2丁目8番)
⑯ 正印殿 (墨江2丁目7番20号)
⑰ 後村上天皇行宮正印殿趾 (墨江2丁目8番)
⑱ 墨江村大字南浜口 (墨江3丁目9番・17番付近)
⑲ 昭和初期に出来た濱口市場 (墨江3丁目21番付近)
⑳ 大正時代の墨江村の風景の一部 カキ氷屋 (墨江3丁目16番)
[21] 端午の節句 (墨江3丁目15番)
[22] 墨江村大字浜口 (墨江3丁目12~15番)
[23] 墨江村大字浜口(長居公園通)
[24] 墨江村大字浜口(墨江1丁目10番)
[25] 墨江村大字浜口(墨江1丁目8番)
[26] 墨江村大字浜口(端午の日の子供)(墨江1丁目10番)
[27] 墨江村大字浜口(鮒取り)(墨江1丁目10番8号)
住吉界隈いま・むかしの第28弾は、住吉名物難波屋の笠松(現住之江区安立1丁目1番)】を紹介します。『住吉いま・むかし』P.138~139からの転載です。
江戸時代には難波屋という茶屋 があり、その庭には大小2株の笠を広げたような、枝ぶりが素晴らし老松があり紀州街道の名物だったそうです。大は直径100m、小は50mもありました。
見物料の代わり に団子を売っていたこもあったようで、「笠松は低 いが団子は高い」と風刺されたとか。戦後の食糧難で土地を開墾して芋などを植えたことから土に栄養がなくなり、1945(昭和20)年頃に笠松は枯死したそうです。
22年前に撮影した場所は確定出来ませんでしたが😢
22年前に撮影した場所は紀州街道から中へ入った所だったのかも知れませんね。
紀州街道と長居公園通が交差する、丸宮神具店の前には紀州街道の案内板が設置されていて、
当時の様子を描いた絵が載っていました。
この絵は、二代広重が描いた『諸国名所百景』の中の「泉州堺なにわやの松」という錦絵です。
難波屋の笠松は枯死しましたが、近くの大阪市立安立小学校にて「安立笠松会」が松を植樹し、大 きく育てて笠松の復活、伝承を 試みているそうです。こういうのは素晴らしいですね!!