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住吉界隈いま・むかし①【帝塚山古墳】

阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て同じようには無理だけど、41年前の1980(昭和55)年に「住吉界隈いま・むかし」刊行委員会が発行した、白井伊之助編著『住吉界隈いま・むかし』に載った記録画や写真と見比べて移り変わりを見てみようと思いました。

記録画は1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分)で、写真の多くは1980(昭和55)年(古くは明治時代)の写真です。尚、住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立しました。

実はTwitterで開始していましたが140字という字数制限を初め情報量の発信に物足りなさがありました。しかし、この"note"はそういう心配も不要ということでこちらで再度、週1ペースで発信していけたらと思います。

住吉地図★原本

帝塚山古墳① (2)

住吉界隈いま・むかしの第1弾は、【帝塚山古墳】(帝塚山西2-8)です。『住吉いま・むかし』P.134・135からの転載です。

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帝塚山古墳は1963(昭和38)年に国の史跡に指定された、ほぼ原型を留めている前方後円墳です。出土した埴輪片の特徴などから築営は4世紀(西暦300年代)末~5世紀(西暦400年代)初めと推定されています。

現存の大きさは全長88mですが、築造当時の規模は全長約120m、後円部径約57m・高さ約10m、前方部幅約37m・高さ約8mと推定され、現存している大きさよりも大きかったようです。

当地に住居があった「大伴金村」の墳墓とも伝えられていますが金村は6世紀(西暦500年代)前半に活躍した人物であり、古墳の築造時期と異なることから被葬者ではないようです。

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万葉集』の「第9巻1740番」に「水江の浦島の子」が載っていることから、おとぎ話で有名な「浦島太郎」の玉手箱を埋めた塚とも言われています。

尚、現在の住吉区遠里小野2丁目・6丁目の大和川右岸(北岸)沿いの地域には「玉手箱」という地名がかって残っていました。

因みに住吉っさん(住吉大社)は浦島太郎の他、「一寸法師」縁の地でもあります。子供に恵まれない老夫婦が、住吉の神様にお願いし授かった子が一寸法師なんです!!▶「一寸法師と住吉っさん

スクリーンショット (2321)

【1794年】「住吉名勝図会<紀州街道に沿って>帝塚山の周辺(紀州街道から眺めた岸の姫松、帝塚山)」に江戸時代中期、1794(寛政6)年の観光ガイドブックであった『住吉名勝図会』がアップされていました。当時も観光スポットだったみたいです。

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【1796年】『浮世絵 名所図会』の「摂津名所図会 巻之一・住吉郡」にはこの摂津名所図会がアップされていました。「摂津名所図会」は江戸時代中期、1796(寛政8)年~1798(寛政10)年に刊行された摂津国の名所を絵画と文章で紹介した地誌です。

摂津名勝図会には、履中天皇の義兄で住吉に住んでいた「鷲住王(わしすみのおおきみ)」のお墓という説も記載されているとか。又、当時付近には前方後円墳の塚が他にもあり、地元では大伴金村塚と鷲住王の塚を「帝塚山」と言ったと記されていとか。古文書が読めるようになりたいです!!

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【1933年】住吉区千躰出身の石濱恒夫さんが1983(昭58)年に出版した『大阪詩情:住吉日記・ミナミ-わが街』P.37には1933(昭和8年)の絵が載っていました。又、戦時中は高射砲陣地になったこともあったようです。

★帝塚山古墳③

【1980年】『住吉いま・むかし』P.134の1980(昭和55)年7月撮影の写真です。墳丘に立っている「天皇駐蹕(ちゅうひつ)碑」は、明治天皇が1989(明治31)年にここから陸軍特別大演習を統監されたという記念碑です。

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【1986年】1986(昭和61)年12月23日(火)に撮ってもらつた私の写真です。帝塚山古墳東側の民家を発掘調査した際に、測量の基点が古墳内にあり特別に入れてもらい記念に📸普段は「住吉村常盤会」が管理していて施錠され、中に入ることは出来ません。

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【1997年】こちらは発掘した場所がどうなったのかチェックしに行った際に撮った1997(平成9)年8月27日(水)の帝塚山古墳です。木も凄く生い茂っていました。

★★★帝塚山古墳上空

【2010年】上の写真は大阪市住吉区役所が2010(平成22)年3月に発行した冊子、『すみよし歴史探検地図「住吉歩けば歴史に当たる」』P. 11の写真です。ホンと古墳の周りが木で囲まれていました。

【2019年】しかし、現在見ることの出来るGoogle earthの、2019(平成31)年2月2日の航空写真では多くの木が伐採されています。

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【2021年】2021(令和3)年3月4日(木)に撮影したものです。木は伐採されたままでした。

【2016年】普段は施錠され入れない帝塚山古墳ですが、2016(平成28)年03月19日(土)は住吉文化事業実行委員会主催の「海ぎわまち歩き」で登頂することが出来ました。

古墳内には、フキワラビゼンマイなどが群生し、珍しい「カンサイタンポポ」も見ることが出来ました!!

標高が前方部8m、後円部10mの帝塚山に登頂した「登山証明書」もゲットしました!! これまで紹介している"ふるさとかかし"を始めとする「案山子巡り」の他、この種のコレクションもマイブームの一つです。

ということで、帝塚山古墳まで来られましたら住吉っさん(住吉大社)まで足を伸ばして『住吉っさんの秋の風物詩【住吉かかしプロジェクト】』の可愛い案山子も是非ご覧下さい~

このように、住吉界隈のいま・むかしを昔の絵や写真でその移り変わりを紹介するだけでなく、トリビア的な話題も交えて我がまち・住吉の魅力が発信出来ればと思っています。次回は住吉っさんの前、現住吉区上住吉2丁目16番付近に開設されていた「青果市場」の移り変わりを紹介します。

#この街がすき #住吉界隈いま・むかし #帝塚山古墳 #トリビア #タイムスリップ



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