住吉界隈いま・むかし[43]【明治36年の高燈籠】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
「阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。
これまで42回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。
① 帝塚山古墳 (帝塚山西2-8)
② 青果市場 (上住吉2丁目16番付近)
③ 住吉座 (上住吉2丁目13番付近)
④ 墨江村大字上住吉 (上住吉1丁目付近)
⑤ 大正末期の蹄鐵工場 {万代6丁目9番(ガソリンスタンド横)}
⑥ 細江川 (細井川)
⑦ 墨江村大字遠里小野 (墨江東7丁目付近)
⑧ 墨江園 (墨江2丁目4・5番)
⑨ 止止呂支比売命神社(若松神社) (沢ノ町1丁目10番4号)
➉ 墨江村大字澤の口 (現墨江4丁目5~7番付近)
⑪ 墨江村大字殿辻 (墨江2丁目付近)
⑫ 昭和初期の墨江尋常高等小学校 (墨江2丁目3番46号)
⑬ 津守寺 (墨江2丁目3番46号)
⑭ 墨江村大字千躰 (墨江1~3丁目・千躰1・2丁目))
⑮ おいとしぼし大神 (墨江2丁目8番)
⑯ 正印殿 (墨江2丁目7番20号)
⑰ 後村上天皇行宮正印殿趾 (墨江2丁目8番)
⑱ 墨江村大字南浜口 (墨江3丁目9番・17番付近)
⑲ 昭和初期に出来た濱口市場 (墨江3丁目21番付近)
⑳ 大正時代の墨江村の風景の一部 カキ氷屋 (墨江3丁目16番)
[21] 端午の節句 (墨江3丁目15番)
[22] 墨江村大字浜口 (墨江3丁目12~15番)
[23] 墨江村大字浜口(長居公園通)
[24] 墨江村大字浜口(墨江1丁目10番)
[25] 墨江村大字浜口(墨江1丁目8番)
[26] 墨江村大字浜口(端午の日の子供)(墨江1丁目10番)
[27] 墨江村大字浜口(鮒取り)(墨江1丁目10番8号)
[28] 住吉名物難波屋の笠松(現住之江区安立1丁目1番20号付近)】
[29] 霰松原(現住之江区安立2丁目11番付近)
[30] 墨江村大字島(現住之江駅前通り東側:住之江区住之江2丁目)
[31] ほし店(現住吉税務署裏一面)
[32] 圓山(現社南町会)
[33] 明治・大正・昭和初期の船着き場(細江川)
[34] 浅澤神社(上住吉2丁目11番21号)
[35] 浅澤小野(上住吉2丁目11番)
[36] 住吉神社東南細江川周辺(上住吉2丁目~墨江1丁目)
[37] 郷社生根神社(奥天神)(住吉2丁目3番15号)
[38] 明治時代の住吉警察署(東粉浜3丁目28番3号)
[39] 墨江村大字長峡(一)
[40] 墨江村大字長峡(二)
[41] 墨江村大字浜口芸妓指定地
[42] 大正期の高燈籠
住吉界隈いま・むかしの第43弾は、明治36(1903)年の高燈籠(現住之江区浜口西1-6-12)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.116~117からの転載です。
伝承では、鎌倉後期に漁民が神前にささげた灯明に始まったといい、巷間では〝我が国最初の灯台〟と評されてきました。
本来は住吉っさん(住吉大社)に捧げる高さ約16mの常夜燈でしたが、次第に航路標識としての役割が大きくなってきたそうです。
明治時代には、西横にあった十三間川の堤には蛤茶屋等があり潮干狩で賑わっていたそうてですが今の景色からは全く想像がつきません。
大正時代の写真と現在の写真を見比べても高燈籠が建っていた雰囲気も全くありません。写真の奥上に見えるのは阪神高速堺線ですが、この下にかって十三間川がありましたが、1970(昭和45)年にこの高速道路の建設に伴い埋め立てられました。
住吉高燈籠は元々、現在の復元移築(高さ約21m)された場所から西へ約200mの場所(住之江区浜口西1-6付近)に建っていました。現在石碑が住宅地の中にこっそりと建っています。
住吉高灯籠跡碑のすぐ西側に「従是北四十五間」の石碑が建っていました。
側面には「剣先船濱口村 立葭場請所」・「天保三年辰十一月」と刻まれていました。
剣先船は江戸時代の大阪の川船のひとつですが、この地に於いても荷物運搬船が活躍していたようです。
ホンとここに川が流れ、その先は海だったとは到底信じられません。今では、西へさらに約5km行かないと大阪湾は見えません。
今から100年以上前の、明治時代末期から大正時代初期にはこんなのどかな風景だったみたいです⤴
住吉高燈籠の絵図としては江戸時代、1771(明和8)年の『住吉社細見絵図』が初見らしいです。
江戸末期・安政年間(1854~1860)の大阪の百の景色を描いた名所絵『浪花百景』にも描かれ、浜で遊ぶ人たちの姿も。
上方風景画の代表的画家と呼ばれる長谷川貞信(初代)が江戸時代幕末から明治時代初年頃に描いた錦絵『浪花百景之内』にも描かれ、住吉っさん詣での人たちの姿も。
「住吉公園歴史探訪」第11号⤴住吉の高燈籠の移り変わりが詳細に記されていますので、是非ご一読を。
住吉高燈籠を模したものが住吉区に3ヶ所、住之江区に2ヶ所あります。住吉っさんの時計台や浅沢神社の高燈籠が住吉高燈籠だったとは知らず驚きました。