住吉界隈いま・むかし⑰【後村上天皇行宮正印殿趾】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
「阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。
これまで16回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。
① 帝塚山古墳 (帝塚山西2-8)
② 青果市場 (上住吉2丁目16番付近)
③ 住吉座 (上住吉2丁目13番付近)
④ 墨江村大字上住吉 (上住吉1丁目付近)
⑤ 大正末期の蹄鐵工場 {万代6丁目9番(ガソリンスタンド横)}
⑥ 細江川 (細井川)
⑦ 墨江村大字遠里小野 (墨江東7丁目付近)
⑧ 墨江園 (墨江2丁目4・5番)
⑨ 止止呂支比売命神社(若松神社) (沢ノ町1丁目10番4号)
➉ 墨江村大字澤の口 (現墨江4丁目5~7番付近)
⑪ 墨江村大字殿辻 (墨江2丁目付近)
⑫ 昭和初期の墨江尋常高等小学校 (墨江2丁目3番46号)
⑬ 津守寺 (墨江2丁目3番46号)
⑭ 墨江村大字千躰 (墨江1~3丁目・千躰1・2丁目))
⑮ おいとしぼし大神 (墨江2丁目8番)
⑯ 正印殿 (墨江2丁目7番20号)
住吉界隈いま・むかしの第17弾は、後村上天皇行宮正印殿趾(現墨江2丁目8番)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.40・41からの転載です。
明治の頃、大字千躰宇馬場十番地道路上に「後村上天皇行宮正印殿趾」の石標が建っていたとか。
1980年の写真から推定すると⤴現墨江2丁目8番の長居公園通沿いに建っていたのでしょうか?
石標はその後転々としたようですが、長居公園通の1本南側の住宅街にある「住吉行宮(正印伝殿)跡」に移転し、1919(大正8)年に大阪府が現在の石標を建てたとか。
普段は施錠されていて、住吉行宮跡に入ることは出来ませんが昨年2月27日はまち歩きのイベントで入ることが出来ました。
大阪府が石標を建てた前後に周囲を造成し、この地を帝塚山に次ぐ住吉の芦屋と呼ばれた高級住宅街が建築され「翠草園」と呼ばれたとか。今でも下町の雰囲気はありません。
元後村上天皇行宮正印殿趾の石標が建っていた場所のすぐ東側には、昨年2月27日に住吉名勝保存会の立派な案内板が設置されました。
元後村上天皇行宮正印殿趾の石標が建っていた場所のすぐ西側には、昨年10月に【午後のチキン】という韓国風のフライドチキンやポテトに韓国のドリンクのあるテイクアウト店がオープンしました。
本日初入店しましたが、注文してから揚げて下さり出来立て熱々を食べましたが、これがホンと美味しくて😋店員さんの接客もバッチグーで気に入りました。再来店して色んなメニューを試していきたいと思います。皆様も是非!!
こちらのお店だけでなく、近所に他にもテイクアウトのスイーツ店やカフェがオープンしています~ので、来店して満足出来たらnoteでも紹介したいと思います。