住吉界隈いま・むかし[35]【淺澤小野】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
「阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。
これまで34回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。
① 帝塚山古墳 (帝塚山西2-8)
② 青果市場 (上住吉2丁目16番付近)
③ 住吉座 (上住吉2丁目13番付近)
④ 墨江村大字上住吉 (上住吉1丁目付近)
⑤ 大正末期の蹄鐵工場 {万代6丁目9番(ガソリンスタンド横)}
⑥ 細江川 (細井川)
⑦ 墨江村大字遠里小野 (墨江東7丁目付近)
⑧ 墨江園 (墨江2丁目4・5番)
⑨ 止止呂支比売命神社(若松神社) (沢ノ町1丁目10番4号)
➉ 墨江村大字澤の口 (現墨江4丁目5~7番付近)
⑪ 墨江村大字殿辻 (墨江2丁目付近)
⑫ 昭和初期の墨江尋常高等小学校 (墨江2丁目3番46号)
⑬ 津守寺 (墨江2丁目3番46号)
⑭ 墨江村大字千躰 (墨江1~3丁目・千躰1・2丁目))
⑮ おいとしぼし大神 (墨江2丁目8番)
⑯ 正印殿 (墨江2丁目7番20号)
⑰ 後村上天皇行宮正印殿趾 (墨江2丁目8番)
⑱ 墨江村大字南浜口 (墨江3丁目9番・17番付近)
⑲ 昭和初期に出来た濱口市場 (墨江3丁目21番付近)
⑳ 大正時代の墨江村の風景の一部 カキ氷屋 (墨江3丁目16番)
[21] 端午の節句 (墨江3丁目15番)
[22] 墨江村大字浜口 (墨江3丁目12~15番)
[23] 墨江村大字浜口(長居公園通)
[24] 墨江村大字浜口(墨江1丁目10番)
[25] 墨江村大字浜口(墨江1丁目8番)
[26] 墨江村大字浜口(端午の日の子供)(墨江1丁目10番)
[27] 墨江村大字浜口(鮒取り)(墨江1丁目10番8号)
[28] 住吉名物難波屋の笠松(現住之江区安立1丁目1番20号付近)】
[29] 霰松原(現住之江区安立2丁目11番付近)
[30] 墨江村大字島(現住之江駅前通り東側:住之江区住之江2丁目)
[31] ほし店(現住吉税務署裏一面)
[32] 圓山(現社南町会)
[33] 明治・大正・昭和初期の船着き場(細江川)
[34] 浅澤神社(上住吉2丁目11番21号)
住吉界隈いま・むかしの第35弾は、浅澤小野(上住吉2丁目11番)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.34~35からの転載です。
尚、地図上では[35]となっていますが、正確には[37]の浅澤神社と同じ位置だと思います。
浅澤小野の位置は、「大歳神社東南一帯」とありますが、"東南"ではなく「大歳神社北東一帯」だと思います。
明治時代と昭和時代、現在の写真を見比べると、明治時代の写真は鮮明ではありませんが木が生い茂っているように見え、昭和時代も同様です。現在では木の数は減っているものの、昔からの木が残っています。
江戸時代(1800年代後半)の、上方浮世絵木版画の組み物『浪花百景』の「浅澤の弁財天」にも描かれています。
江戸時代の錦絵に描かれた石碑と柳が現在も残っているのは何か感動です!!
かつてこの辺りに大きな池があり、奈良の猿沢・京都の大沢と並ぶ近畿の名称だったとは\(◎o◎)/!
杜若で有名で、和歌の名所としても知られ、奈良時代(710~784年)末期成立の日本最古の和歌集『万葉集』に詠まれるほどでした。しかし、杜若は江戸時代には途絶えました。
その後、地元の人々が新たに杜若を植え直して往時を再現し、今見頃です✿