住吉界隈いま・むかし⑬【津守寺】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
「阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。
これまで12回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。
① 帝塚山古墳 (帝塚山西2-8)
② 青果市場 (上住吉2丁目16番付近)
③ 住吉座 (上住吉2丁目13番付近)
④ 墨江村大字上住吉 (上住吉1丁目付近)
⑤ 大正末期の蹄鐵工場 {万代6丁目9番(ガソリンスタンド横)}
⑥ 細江川 (細井川)
⑦ 墨江村大字遠里小野 (墨江東7丁目付近)
⑧ 墨江園 (墨江2丁目4・5番)
⑨ 止止呂支比売命神社(若松神社) (沢ノ町1丁目10番4号)
➉ 墨江村大字澤の口 (現墨江4丁目5~7番付近)
⑪ 墨江村大字殿辻 (墨江2丁目付近)
⑫ 昭和初期の墨江尋常高等小学校 (墨江2丁目3番46号)
住吉界隈いま・むかしの第13弾は、津守寺(現墨江2丁目3番46号)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.32・33からの転載です。
津守(瑠璃)寺は、住吉っさん(住吉大社)の歴代神主であった津守氏の氏寺で、津守国基によって、平安時代の901(延喜元)年に創建されたと伝えられています。
神宮寺・荘厳浄土寺と共に住吉三大寺の一つに数えられていましたが、1868(明治初)年の神仏分離で廃寺となりました。現在は大阪市立墨江小学校となっています。
こちらが江戸時代の1794(寛政6)年に発行された『住吉名勝図会』です。
墨江小学校は1872(明治5)年の創立ですが、1914(大正3)年には敷地内に墨江村役場も設置されていました。
私の母校でもある墨江小学校は、1980(昭和55)年に撮った写真と今年撮った写真を見比べても同じような外観です。今年11月28日で創立149年を迎えるとても歴史のある小学校です!!
墨江小学校の塀に「津守廃寺」の説明板が掲示されています。この辺りの工事で白鳳時代(7世紀後半)の瓦や土器が発見されたことから、津守寺が創建された平安時代の901(延喜元)年より古い時代に寺院があったと思われています。又、熊野街道の「津守王子」が祀られていたのもこの付近とされています。
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