住吉界隈いま・むかし⑮【おいとしぼし大神】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
「阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。
これまで14回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。
① 帝塚山古墳 (帝塚山西2-8)
② 青果市場 (上住吉2丁目16番付近)
③ 住吉座 (上住吉2丁目13番付近)
④ 墨江村大字上住吉 (上住吉1丁目付近)
⑤ 大正末期の蹄鐵工場 {万代6丁目9番(ガソリンスタンド横)}
⑥ 細江川 (細井川)
⑦ 墨江村大字遠里小野 (墨江東7丁目付近)
⑧ 墨江園 (墨江2丁目4・5番)
⑨ 止止呂支比売命神社(若松神社) (沢ノ町1丁目10番4号)
➉ 墨江村大字澤の口 (現墨江4丁目5~7番付近)
⑪ 墨江村大字殿辻 (墨江2丁目付近)
⑫ 昭和初期の墨江尋常高等小学校 (墨江2丁目3番46号)
⑬ 津守寺 (墨江2丁目3番46号)
⑭ 墨江村大字千躰 (墨江1~3丁目・千躰1・2丁目))
住吉界隈いま・むかしの第15弾は、おいとしぼし大神(現墨江2丁目8番)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.74・75からの転載です。
おいとぼし大神は、喜連敷津線(現長居公園通)の開通で北10m先の民家に疎開したとあるけど、
41年前の写真と見比べると、道路沿いの街路樹が伐採され減っています!!
街路樹がある事により、私たちは精神的な安らぎや潤いを享受する事が出来ます。また、街並みに品格や風格を持たせ、地元への愛着心や誇りが生まれます。
視線誘導や美観の調和など「景観向上」の目に見える効果、ヒートアイランドの抑制や大気浄化、生態の保全など「環境・衛生の保全」と言った目に見えない効果が街路樹にはあります。
街路樹にはホンと様々な役割があるのにも関わらず、2008(平成20)年から大阪府知事が、2011(平成23)年から大阪市長が大阪維新の会となり10年以上も続く中でこんなことに😢「大阪市における街路樹再生の取組み」はされてはいるようですが、「【特集】街路樹〝受難〟の時代「酷暑に緑陰」の危機」にも記されているように伐採に対する市民の抗議の声も多いです。
おいとばし大神って住吉大社の末社・大歳神社内にある「おいとぼし社」のことなんでしょうか?約200m離れていて、おもかる石は1つじゃなく2つあるけど。。。民家に疎開した後ここに祀られることになったのでしょうか?この謎をご存知の方はいらっしゃいませんか?
#この街がすき #住吉界隈いま・むかし #おいとぼし大神 #パワースポット #タイムスリップ