住吉界隈いま・むかし⑭【墨江村大字千躰】
『住吉界隈いま・むかし』は、1918(大正7)年生まれの白井伊之助さんが記憶と想像で描いた昔の「住吉界隈」(住吉区の西半分と住之江区の東半分 ※ 住之江区は1974(昭和49)年7月22日に住吉区から西部を分離して成立)と、同じ場所で撮った1980(昭和55)年(古くは明治時代)と現在の写真を見比べて移り変わりを見てみようとする企画です。
「阪神沿線×タイムスリップ写真館」を見て我が町でもやってみようと思い立ちました。
これまで13回に亘り、次のスポットの移り変わりを見てきました。
① 帝塚山古墳 (帝塚山西2-8)
② 青果市場 (上住吉2丁目16番付近)
③ 住吉座 (上住吉2丁目13番付近)
④ 墨江村大字上住吉 (上住吉1丁目付近)
⑤ 大正末期の蹄鐵工場 {万代6丁目9番(ガソリンスタンド横)}
⑥ 細江川 (細井川)
⑦ 墨江村大字遠里小野 (墨江東7丁目付近)
⑧ 墨江園 (墨江2丁目4・5番)
⑨ 止止呂支比売命神社(若松神社) (沢ノ町1丁目10番4号)
➉ 墨江村大字澤の口 (現墨江4丁目5~7番付近)
⑪ 墨江村大字殿辻 (墨江2丁目付近)
⑫ 昭和初期の墨江尋常高等小学校 (墨江2丁目3番46号)
⑬ 津守寺 (墨江2丁目3番46号)
住吉界隈いま・むかしの第14弾は、墨江村大字千躰(現墨江1~3丁目・千躰1・2丁目)を紹介します。『住吉いま・むかし』P.70・71からの転載です。
地名の「千躰」は、徳川幕府が千歳を祝し名づけた松栄亭とここにあった正印の御筥が秘符され内部の正躰に接する事がないという伝承に由来する説も。
現範囲と違いますが住吉⼤社権禰宜・⼩出さんのお話が興味深いです▶「~住吉さんと地元の1800年から学ぶ~ 地名に隠された住吉の歴史」
41年前には空き店舗が3件ありましたが、
いつの間にかはんこ屋さんが出来、
2ヶ月前には新しいお店がオープンしました\(^o^)/
2ヶ月前にオープンした『午後のチキン』という韓国料理店なんですが、クチコミ⤴を見ると高評価😊しかもクチコミ一つ一つにオーナーさんが返信していました💖機会があれば行ってみようと思いましたが、明日行ってみるかも?です(笑)😋
昭和55年と現在を見比べた写真の撮影地の地名は現在「千躰」ではなく「墨江1丁目」です。
「千躰地蔵尊」の場所も「墨江2丁目」です。
現在「千躰」という地名は南海高野線より東側に残っていて、「大阪市立三稜中学校」(千躰1丁目)もそうです。
校門を入った所にマンホールの蓋があるのですが、大阪市の見慣れたマンホールの蓋ではなく、淀川を船で渡る擬人化されたたこ焼きくんの可愛いデザイン~「下水道展'14大阪」で三稜中学生の生徒さんの作品が「中学生の部特選作品」として選ばれたことを記念して設置されました!!
選挙に行く度にこのマンホールの蓋を見るのが楽しみです~