あの指の腹を感じたい
自分の髪を、自分だけが洗うようになって5年になる。
小さい時から誰かに髪を洗ってもらうのが好きだった。小学生の時は、家の真裏の床屋でスポーツ刈り。髪を切った後は、ギュウギュウに首に巻かれたケープをつけたまま、鏡の前のシャンプー台にうつ伏せ前傾姿勢でスタンバイ。窒息しそうになりながらも、髪というより"頭”をガシガシ洗ってもらう感覚が好きだった。頭の洗い終わりにアツアツに蒸されたタオルで顔と頭をゴシゴシ拭いてもらうのも好きだった。
滅多にないことだったが、父親が早く家に帰った時は一緒に風呂に入った。風呂の床に敷いたフカフカのポリエチレンマットに座る僕の頭に、父はシャンプーを豪快にかけ、ガシガシと爪を立てながら洗っていく。痛いけれどもなんだか気持ちいい。
他人に頭を洗ってもらうという、自分の頭を他人の指が走り回る感覚に子供ながらに”快感"を得ていたのだと思う。
大人になり、家の裏の床屋も卒業して、いくつかの美容室での洗髪も経験した僕にはどうしても忘れられない「指の腹の感触」がある。
この話を書いていて、頭は乾いているのにその人の指で触られている感触が頭に蘇る。あの冷たくも優しい「指の腹」を持つ美容師さんと出会ったのは、代官山にある小さな美容室だった。
大学を卒業し、大学院生となって都内の実家に戻ってきた僕は、さてどこで髪を切ってもらおうと考えていた。mixi全盛期の当時、僕も過去の繋がりとの交流に勤しんでいた。そんな中で高校の時の彼女のお姉さんとmixiでつながった。そのお姉さんのmixiのコミュニティリストにある趣味や音楽にものすごく共感を得た僕は、美容室についても相談してみた。
めちゃくちゃオススメなところがある!と紹介されたのが、その代官山の美容室だった。そこは店員さんは一人だけ。つまりオーナーの美容師さんだけしかいない。オーナーのSさんは、もともとは大きな有名なお店で髪を切っていたが、お客さんの個性を大切に、髪を切るところから髪を洗うところも含めて、一人のことを全て自分で対応したいと、この小さな美容室を始めたようだった。
そして、僕は魅惑の「指」と出会った。
僕の固くゴワゴワした天然パーマの髪は、乾いた状態だと切りにくいようで、最初の話し合いで、まずは髪を洗ってから切ることにしましょうとなっていた。
毎回、鏡の前に一度座り、「じゃあどうしましょうか?」と髪型を決めた後すぐに洗髪する。
仰向けに横になり、フェイスガーゼをかけられるとまずは髪を濡らし始める。
丁寧に丁寧に髪を濡らしていく。天パーの僕の髪は、中々に水を弾くのでかなり念入りに濡らしていく。
髪全体が濡れたところでシャンプーを髪全体に馴染ませると、ここからいよいよSさんの指の腹が僕の頭に当たる瞬間だ。
Sさんの指は、だいたいいつも冷たい。冬に髪を洗ってもらう時には少しヒョッとしてしまうことがある。けれど、そんなヒョッな感覚も指が動き始めれば忘れてしまう。
丸めた指は、いつも右のこめかみの上あたりからから円を描くように動き出す。この当たっている指はよく切られた爪先なのか、それとも指の腹なのか分からないほど柔らかで滑らかなSさんの指の動き。
Sさんの指は、僕の頭の右から左側頭部へと移り、指の腹が縦へ横へ、そして八の字のようにうねりながら僕の頭を這いずり出す。
隠れた後頭部を洗うために手のひらで頭を持ち上げられる瞬間、やはりヒョッとなるが、今まで洗われていなかったうなじあたりをやさしくカシカシと洗われるのも気持ちいい。
あぁこのまま永遠に頭を洗い続けてほしいと願うがいつもその願いは叶わず、頭全体を洗うルーティンが二度ほど終わると終わりが近づく。音量のボリュームを小さく絞るようにSさんの指の動きがゆっくりになるのが終わりの合図だ。髪全体の泡立ったシャンプーを拭い取り、暖かいシャワーで頭を洗い流してくれるのも気持ちがいいが、終わってほしくない!と思ってしまう。が、しかし、この段階では、まだ髪は切っていないのである。
髪だけ洗いに予約することもできたのかもしれないが、Sさんひとりでやるその小さな美容室は、Sさんに髪を切ってもらいたいお客さんでいつも予約がいっぱいだった。先発だけの予約では申し訳なくてできなかった。
髪を切った後は、シャンプーなしのざっと洗い流すだけのためにもう一度シャンプー台に横になる。シャンプーはしないが、頭全体をSさんの柔らかな指の腹が走り回り、あぁいいなぁずっと洗っていてもらいたい、いや、ずっと触っていてもらいたいと思っていた。
西川美和さんの『永い言い訳』の中で、のちに妻となる田中夏子に美容室で髪を洗ってもらうシーンの主人公の小説家津村啓の感情が次のように書かれている。
そして何より、彼女の指の腹の感じが、最高だった。これまでのどんな美容師の手技とも、風呂にいっしょに入って髪の毛まで洗ってくれた献身的な女の子たちとも、比較にならないほど彼女に触れられているのは気持ちがよかった。
二度目の洗髪の折も、彼女の指の腹の感触は飽くどころか、脳髄をとろけさすほどに心地よかった。
この津村の感想は、まさにSさんに髪を洗ってもらう僕の快感な気持ちを表してくれている。
シャンプー台に仰向けに寝て、フェイスガーゼをチョンと顔に貼り付けられた瞬間、いや、小さな美容室の扉を開ける瞬間、いや、次回の予約を電話している瞬間から、このSさんに頭を洗ってもらう瞬間を想像し、僕の脳髄はとろけるような心地よさを感じていた。
この小さな美容室でのSさんの”指の腹”との逢瀬は約10年続いた。僕が違う"指"に浮気をしたわけではなく、Sさんがお店の10周年を機に店を閉じたのだ。
Sさんは、自身の美的感覚を生かした絵画制作やアート活動に人生の軸を切り替え、フランスに行くということだった。
閉店を告げられた時は驚いた。もうSさんに髪を洗ってもらい、切ってもらうことはできない。だけど、寂しい気持ちを抑えて、Sさんの次のステップへの挑戦を心から応援した。
美容師さんの"指"を求めて美容室に通うという人は多くはないかもしれない。でも間違いなく、あの冷たく柔らかいSさんの"指の腹"が、僕が美容室に通う理由だった。
大学を卒業して東京に戻り、mixiの繋がりから、小さな美容室に辿り着き、Sさんと出会った。
Sさんが一人でこなす小さな美容室だからあの"指”とも出会えた。
幸運だった。
Sさんが店を閉じてから、5年。今では僕の髪は、妻がバリカンで切ってくれている。ワンパクヤンチャな娘を親に預けて、妻に髪を切ってもらう時間は、夫婦の会話ができる貴重で幸せな時間ではあるが、髪を切ったあと、その髪を洗うのは自分だ。
あの小さな美容室がなくなってから、僕の髪を洗ってくれる”指”には出会えていない。
できることならばもう一度、あの指の腹を感じたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?