憧れと羨みと妬み
全部違う言葉なのに、感情はその壁を超えて行ったり来たりする。
すごいなぁ、あんな風になりたいなぁ
という憧れは、
なんであの人はできるのに、私はできないの
という羨みに変わり、
私がそこにいるはずだったのに
という妬みになる。
「行ったり来たり」は間違った表現かな。
妬みは羨みには戻らない。
羨みは憧れには戻らない。
腐った部分を切り落とすように
妬みになってしまった感情を切り落として付き合う。
そうしてだんだん小さくなって、
いつしか関係がなくなっていたりする。
だけど大抵、そう思われる方は無自覚で、
知らないうちにたくさんの関係を失っている。
実際それは自分の中で生まれて腐っていくから、
それをわかっていてそっと削り取るのだ。
子どもの頃は理不尽な喧嘩もたくさんしたけれど、
それで友達を失くすことは少なかったんじゃないかと思ったりする。
理不尽でも、自分の気持ちが傷ついたなら、それをまっすぐ伝えた。
言いながら自覚したり、それを言われたりして、より慎重なコミュニケーションを取るようになった。
社交辞令に浸って生きていると、そんなことも忘れてしまう。
潤滑油があれば、多少傷ついても上手に回る。
自分勝手な思いは、自分の中で処理をするべきだと言い聞かせる。
潤滑油でびしゃびしゃになった心から、またひとつ妬みを切り取る。
あの人に、素直に「すごいね」って言えたら。
(まり)
今日のデザートはフルーツゼリーでした🍑
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