なぜ脳に料理なのか?
昨日の記事で書きましたように……
脳を元気にしておきたいなら、どの家事よりも運動よりも、とにかく料理することをお勧めします。
その理由は、簡単。
脳を丸ごと満遍なく使うことになるからなんです。
例えば、掃除。
これは頭使わなくてもできますよね。身体を動かせばOK。
洗濯も、ほぼ一緒です。
洗濯物の仕分けはありますが、それ以外には取り立てて頭を使う必要がない。
洗濯機と洗剤に合わせて、あとはお任せです。
では一方、料理は、と言うと――
まず、いつ何をどう作るかを考えて決めるところから始まります。
料理と言うのは一連の作業の結果です。
ゴール設定があり、現状認識があり、踏むべきステップがある。
たとえそれが卵焼き一つ作るのであっても、必ず何かしら考えるべきことがあるわけです。
しかも、複数品を作る場合には、出来上がり時間をまず決めて、そこから逆算して作業していくという工程があります。
この手順をしくじると、温かい状態でサーブしたいものが冷えてしまったり、冷やしておきたいものが生温いままという、悲しい結果になってしまいます。
全体構想を考えて計画するだけでも、料理は案外複雑な過程を踏むのです。
もちろんそこには、必要な食材の確保・購入や、下拵えまで含まれます。
料理と言う作業は、決して一直線に進む行為ではなく、複層的というか重層的に、複数の要素が絡み合いつつ進んでいくものなんですね。
計画と実行だけでも、こうやって書き出してみると、やることの多さが見えてきますが、料理の複雑さはそれだけではありません。
実際に調理という作業を進めるときにも、脳をフルスペックで使い回すことになるのです。
まずは食材の扱い方。
皮をむいたり刻んだり、塩をしておいたりと、料理ごとにやることが違います。
特に食材の切り方は、料理の出来に関わる大事な部分。
食材によって切り方が変わるし、不揃いなものの大きさを揃えたり、食べやすさや味の沁みやすさ、火の通りやすさなど、さまざまな要素を考慮する必要があります。
そしてそれぞれにふさわしい調理器具を用意します。
必要に応じて2つ種類並行して調理していくことも珍しくありませんよね。
調理法もさまざまです。
煮る、焼く、炒める、揚げる、茹でる、などなど。
どのぐらいまで火が通ればいいのか、どんな状態なら焼けているのか。
この技術を判断は、実際に何度も繰りかえすなかで、体感覚的に身に着けるしかないスキルです。
そして、大事な大事な味付け。
これこそ感性の世界。
大まかな匙加減でつけた味を、味見をしつつ調整していきます。
塩を振る時には、指先の一つまみの感覚。計量スプーンを使うとしても、それはあくまでおおまかな目安にすぎません。
料理教室のように○○を何グラム、大さじ○杯なんて、いちいち覚えていられないし、その日の食材の状態と組み合わせで、それは臨機応変に変えるべきもの。
だから、自分の舌で測るしかないのです。
料理と言うのは、こうやって作業を分解して考えてみると、本当に驚くほど複雑で高度なことを合わせ技のように当たり前にこなしていく作業です。
この時に私たちは脳をフルに使い倒しています。
包丁を使うときの指先の繊細な動き。フライパンを振る力加減。
目で見て、耳で音を聞いて、火加減や火の通り具合を推し量ります。
舌と鼻を駆使して味を調えます。
その時に脳は、過去の体験から様々なデータを引っ張り出して、それと比較しながら、望ましい状態をイメージしていきます。
つまり、運動記憶と味覚や視覚・聴覚の記憶も総動員して、一つ一つの料理を形にしていくのです。
しかも、脳はそれを一瞬のうちに、ほとんど無意識にこなしていきます。
さすがは、ナチュラル生体量子コンピュータ!すごい仕事っぷりですよね。
料理には、集中が必要です。気が散っていると、思わぬところでしくじったり、思ったような結果が出せなかったりします。
それも当然ですよね。これだけのことを脳は一気に捌いているんですから。
しかも相手は生きもの。水もの。
毎回まったく同じと言うわけにはいかないのが料理です。
だから脳は燃えるわけですね。
きっと楽しいんじゃないかなと、思うんですよ。
やりがいがあるというか。
日々のキッチン仕事が実は最強の脳トレになると知っていたら、やらされてる感でウンザリしてしまうようなときにも、遊びモードにチェンジできるんじゃないかとも期待します。
もちろん楽しく作ったご飯はきっとおいしい。
そして美味しいご飯は健康の礎です。
脳を鍛えて、ますます健康力アップ。
家庭料理は良いことづくめなのです。
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