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病気がもたらしたもの


◉病名が判明するまでの気持ち

◎なんか嫌な予感がしていた

病院に行くほどではないけれど、日常生活が辛い。
そんな症状が続いていた時期。

近医では「ストレス」「疲れ」と言われて、ビタミン剤、鎮痛剤が処方されるだけ。お医者さんがそう言うなら、と私も自分の気持ちに蓋をしていました。

実際は「大きな病気なのではないか」「放置していたら危険ではないのか」と、ずっと不安でたまりませんでした。
2021年が一番辛かったですが、COVID-19のデルタ株が猛威を振るっていた時(ワクチン接種が始まったとき)だったので、大学病院の敷居は通常よりものすごく高くなっていました。

微熱が主訴だというのも、敷居を高くした要因でした。

◎珍しくお医者さんに食い下がった

私は病院で5年ほど働いていたことがあるので、大学病院に通院することの大変さを知っています。ですから、「大学病院は簡単な気持ちで行くところではない」と考えています。

そんな私が珍しくお医者さんに懇願しました

「大学病院を紹介していただけませんか」

COVID-19の分類が変わったこともあり、今では紹介状がなくても大学病院受診が可能です(但し、紹介状がない場合の別途手数料がかかります)。

しかし2021年は紹介状がなければ、門前払いでした。
COVID-19の対応で、新患受け入れができる状態では無かったのだと思います。

近医の先生は「そう?いいけど」と、あっさり書いてくださいましたが、ここで拒まれていたらと思うと、ゾッとします。


インスタ用のイラストを描いてみました/「似てるww」By夫

◉確定診断後はまるでジェットコースター

◎5年後生存率の話

検査入院前、お医者さんに最悪の場合という前提でお話を聞きました。
この説明のとき、本当は夫や家族に付き添ってほしかったのですが、COVID-19の影響で付き添いNGで、ひとりで心細かったのを覚えています。

「最悪の場合、5年後の生存率が芳しくありません。統計上では35%ですが、そもそも希少疾患であるため、その統計も当てになりません」

私の病気は発見すること自体が難しく、治験も行われていません。
(治療薬もなし)

インタネット社会でも、私の病名のヒットは少ないです。
そして、どこにも予後は明確に書かれていなかったので、先生は真摯にわかっている情報を丁寧に伝えてくれたと感じています。


様々な検査を経て、入院中に免疫抑制療法を開始しました

◎自分が変わったような気がした

なんだか、今までの自分では、なくなってしまったような感覚がありました。日常生活に制限が付き、怯える毎日。

まるで命が可視化されてしまったかのような
死に向かって生きているだけ、のような
寂しい感覚

病気が判明して1年は、あまり記憶がありません。
今考えると、必死だったのだと思います。

退院直後から職場復帰したのも、「変わってしまった自分」を認めたくなかったから。それが災いし、1年後に再燃してしまうのですが・・・

◎再燃、流産、精神障害を経て

再燃したときの恐怖は今でもハッキリと覚えています。
二度と味わいたくない気持ちのひとつです。

「再燃を繰り返して悪くなっていく。貴方の場合は、いかに安定した時期を長くするか、再燃をさせないか、それが大切だよ」

先生が優しく諭してくださったのですが、私は無理を続けてしまいます。

少し病状が安定した時に、医師の許可を経て妊娠できたのです。
・・・が、無理がたたったのか、赤ちゃんとご縁がなく、流産してしまいました。
そして、自分を責めた結果、精神疾患が出てしまい、日常生活を送ることも困難な状態になりました。
それまで、かなり無理をしたので、日常生活の破綻はあっという間でした。

こちらの記事でも触れていますので、お時間があればご一読ください(-_-)

私はドクターストップもあり、休職→退職することになります。

◉現在地点は幸せとやりがいに溢れている

◎命の可視化で「自分軸」中心の生活に変わった

私は「誰かに喜んでもらう」ことが大好きです。
それが行き過ぎて、自己犠牲になってしまうことが多かったです。

行き過ぎすると「誰かに評価されたい」「誰かに認められたい」という感情が支配していくんですよね。
悪いことではないのですが、私を評価するかしないかは、第三者の自由なので、私にはイニシアチブはありません。

「誰かのためになれば」と思い行動するのは良いとして、「褒めてくれたら」と思うのはキッパリ無くなりました。

「私がやりたいからやる」

ただそれだけ
シンプルになりました(*^^*)

◎音楽家の仕事一本で生きていく覚悟ができた

安定した月給のためだけにOLをしていました。
奨学金返済もありますが、とにかく安全地帯に居たかったんです。

でも、入院した時に思いました。

「人の一生って短い。何かやりたいことがあるなら、ウジウジしている時間なんてない」

そして、
「私にとって音楽は「人生」そのものであり、表現手段。無くなったら、精神的な死と一緒」

とも思いました。

音楽界で生きていくことは(今も)簡単ではありません。
でも、どんなに貧乏な生活であっても、構わない。
そう覚悟を決められたのは、皮肉にも病気のお陰です。

◉だから長生きしたい

希少疾患であるため、私が今後どのような経過をたどるのかわかりません。遠くない未来、私の検査データなどが役立ってくれれば嬉しいな~なんて思っています。

音楽界でやりたいことが山積み
またご縁があれば子どもを授かりたい
その時の私にしかできないパフォーマンスをしたい

だから、健康で長生きしたいです。

今のところ、私の検査結果は健康状態です。
(私の疾患にはバイオメーターがありませんので、一般的な検査では何も異常はなく、むしろ健康体)

再燃を二度としないように
でも、人生を怖がることなく、楽しく生きていきたい

今日もそう思いながら、この記事を書かせていただきました(*^^*)


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