私が考える病気との距離感
◉とにかく大変
◎傷ついた過去
指定難病だと判明した時、知人や同僚からかけられる言葉に傷つくこともありました。
癌とかよりいいじゃん
見つかってよかったね
元気そうに見えるのにね
これは、たいして仲良くない方から言われた言葉です。
まず、病気や境遇、苦しみは比べるものではないと考えています。
人それぞれ、感じ方は違うわけですから、比較はナンセンスです。
励ましているつもりであっても、言う相手と言葉を選ばないと、言葉は刃になります。
ハッキリと「その言葉は傷つきます」とも言えず、へらへら笑うしかなかった自分が悔しかったですが、今では相手にしなくてよかったと思いますww
◎通院は本当に疲れる
大学病院というのは特殊なのか、重たい空気に感じます。
検査~診察、処方まで3時間ほどですが、たった3時間でも、すごく疲れます。病院にいると、気力が無くなっていく感覚があります。
そして、私の場合は月に1度の通院が必須の病気です。
最初は毎週、半年後から隔週、3年たった今ようやく月1になりました。
通院日は極力仕事はいれません。
パフォーマンスが落ちますし、検査結果が悪かった場合、3時間ですまないこともありますので、終わり時間が見えないんですよね。
採血して、時には画像検査して、診察して、薬をもらう
これだけで、帰宅後はへべれけになります。
通院日=有給を取らなければならなかった
会社員のときは、
通院日は有給を取り、周囲に「明日は有給をいただきます」「昨日はありがとうございました」という、謎な儀式をしなければならず。
わかっていても、理不尽に感じました。
否応なく通院しているだけなのに・・・と思ったものです(ごめんなさい)
そして、有給は通院で使わざるを得ないので、本来の意味での有給は中々取れない(リフレッシュ)&インフルとかかかったら終わる。
「休めない」という強迫観念が働いてしまい、苦しかったです。
大企業であれば、通院休暇や難病の人への合理的配慮があるかもしれませんが、ほとんどの会社はありません。
障害者雇用制度はあっても、難病患者が働くための制度はほとんどありません。合理的配慮なんて曖昧なことしか規定されていません。(T_T)
◉自分の人生を歩き始めるまで
◎最初は絶望しかなかった
検査入院を経て「治療法はありません。対処療法していきましょう」と言われたときは、頑張る気力なんてありませんでした。
対処療法の副作用が結構辛いのに、治るわけではない
この事実が無気力に拍車をかけたと思います。
◎母の存在に救われた
母は25年前、【余命2年】と宣告されています。
その12倍以上生きてくれていますが(現在進行形)、病気が治ったわけではなく、母も共存していました。
今でも不思議に思うのですが、母がネガティブになっているところを見たことがありません。
母に「落ち込まないの?」と聞いても「落ち込まないね~」と言ってます。
絶望を感じていた時、母はただただ傍に居てくれました。
「頑張れ」「何とかなるよ」なんて、言葉は一切なし。
いつも通りに過ごさせてくれたのは、母が特別変わらなかったからだと思います。私を腫れ物扱いにもせず、特別扱いもせず、絶妙な塩梅でした。
そして、この母が「大丈夫」と言ってくれるなら、大丈夫かもしれないと、希望を持てたんです。お母さん、本当にありがとう。
◎病気と流産
病気が落ち着いたとき、妊娠許可がおり、めでたく妊娠できました。
しかし、その赤ちゃんとはご縁がなく、初期で流産しました。
不全流産だったため、子宮収縮薬を使わなければならず、完全流産まで時間も気力も体力も使い果たしました。
精神崩壊が起こり、急に泣いてしまったり、現実感がなくなったり、離人症状が出たり、ドクターストップで退職に至りました。
◎自分と向き合うことで得た気づき
カウンセリングを通して、自分と向き合うことができました。
自他境界線があいまいである
感受性が強い
共感力に優れている
聴覚過敏がある
この他にもたくさんありますが、結論
組織人(会社員)は向いていない
私は誰かに責任を取ってもらうことが、一番苦痛でした。
ミスをしたときに、私が責任を取れないというのは、悔しかったですし、逆に私は関わってすらいないのに、連帯責任的な罰も嫌でした。
そこに正義感が爆発してしまうので、私にとっても会社にとっても、メリットはないのだと気づきました。
◉人生を諦める必要はない
◎音楽家の道を反対しなかった家族
我が家は母子家庭でしたので、裕福ではありません。
それでもバイオリンができたこと自体、恵まれていました。
音楽大学を卒業した後は、奨学金返済に焦点を当てすぎたため、正社員として普通に働くこと以外眼中にありませんでした。
高卒で働いた期間と、大卒で働いた期間を合わせると15年
スキルは身に付きましたが、それよりも苦痛の方が多かったです
そんな私を見ていた家族は、私が音楽家としてやっていく決意をしたことを知ると、大喜びしてくれました。
中でも意外だったのは姉です。
姉は超現実主義。地に足がついてないと指摘してくれます。
その姉が
「あなたは音楽の道の方が、地に足がついているよ」
と、言ってくれたんです。びっくりしました。
今考えれば、組織人に向いていないのに、必死に馴染もうとする私の方が、痛々しかったのでしょうね(-"-)
◎できないことがあっても、やりたいことはできる
なんだか矛盾しているタイトルですが・・・
私の場合、免疫抑制療法をしているので、易感染状態です。
保育園の先生や、医療機関で働くことは厳しいです。
(感染症の温床なので・・)
でも、小さな子どもにレッスンはしていますし、今のところ感染症が移ったこともありません。
それは、ご家庭に私の病気のことを説明し、理解をしてくださっているからです。私がマスクをしなければならないことを理解し、お子さんが少しでも具合が悪ければ、キャンセルを申し出てくれます。
ありがたい限りです。
自分の力だけでは解決しないこともあるかもしれませんが、病気によってすべてを諦める必要はありません。
◎自分の幸せを最優先にしている
20代は自己犠牲の塊でした。
そんな自分に寄っていた節もあります。
自己犠牲の果ては、自分を失くします。
自己犠牲という単語は美しく聞こえますが、私はお勧めしません。
私が笑顔で楽しそうに生きる
→私の大切な人たちが笑顔になってくれる
→そのまた外側の人たちが笑顔になってくれる(かもしれない)
自分の幸せが、巡りめぐって、周囲の幸せに繋がると思います。
もちろん、違法行為や故意に誰かを傷つけることは許されませんが、必要以上に世間を気にする必要もないと思います。
だから、私は言い切れます。
今が一番楽しい!!!