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朝5時台のJR山手線に乗れる覚悟がないと、東京で夢を追ってはいけないのかもしれない

「人間観察をしたければ、朝5時台の山手線に乗るといいよ。日中には出会えない人たちを観察できてネタになるから」

よしもとの放送作家スクールに通っていた20年前、ネタ作りのとっかかりとして人間観察をしようと講師に教えられ、「どこに行けばネタになりそうな観察ができますか?」という生徒の質問に答えたのが上記である。

なるほど確かに。スクールに入る前から新宿西口直結の商業ビル・パレットビル8階にある居酒屋で深夜アルバイトをしていた私。朝5時に仕事が終わって電車に乗って帰っていた。

酔っ払って帰る若者グループ、これから工事現場に行くのかな的なとび職の格好をしたおじさん、この会社朝6時出社なのかなと思うほどピシッとしたスーツ姿で座って日経新聞を読むおじさん。その隣には酔っ払って寝ているアラサー女性。おっぴろげたタイトスカートからはパンツが丸見えだ。

こうした朝5時台・電車の日常は、昼間〜夕方の電車内からみれば非日常だ。でも、これも東京の縮図を切り取った1つの光景。スクール講師が「1番面白いのが先頭車両。乗ってみるとわかるよ」と言っていたので、深夜バイト終わりに普段乗らない先頭車両に乗ってみた。正直、あんまり変わらないと思ったけど、運転士が見える窓をずっと眺めながら酔っ払ってニヤニヤしている中年おばさんがいたのはぼんやり覚えている。

泥酔して帰る、これから仕事に行く、朝5時台の電車にはよくお世話になった。20代は深夜バイトから帰るorひと晩飲んだ後に帰るとき、30代は早朝のテレビ局にいくとき、新宿駅から山手線外回りにのって池袋、上野、神田、東京駅に着く頃にはすっかり客層が変わり、スーツ姿が増える。新橋につくと、また酔っ払いやら水商売の人が乗ってくる。

夏なら照りつける太陽が昇りかけ、冬なら凍える星空が見える朝5時台の電車に、偶然乗り合わせた人たち。東京生まれ東京育ちの人が半数を超えているというデータもあるけど、4割近くは東京以外で育っているわけだ。

私は6歳の時に、生まれた北海道から東京に来て、それから35年にわたって東京で生活をしていたので、東京への憧れもないし、東京が他の地域と比べて良いとか悪いとかを考えたこともない。満員電車も日常だったし、東京タワーを見ても「でけぇな」と「蝋人形館が怖い」くらいの感想しか持たないし、テレビ各局がお天気カメラで映している渋谷のスクランブル交差点の人混みも、新橋駅前のSL広場でサラリーマンの声としてインタビューを受ける酔っ払ったおっさんも、普通に見る日常の光景だった。

何かを求めて東京に来たのか、すがるものがあって東京に居続けるのか。朝5時台の電車に乗っている人やSL広場前でインタビューを受ける人たちにも、夢や希望があるのか、いやあったのか。鹿児島から上京した長渕剛がとんぼで表現した「花の都・大東京」には何が転がっていたのだろう。

社会は無責任だ。若者には「願い続ければ夢は叶う」と嘘八百を並べ続け、新宿西口のモード学園コクーンタワーにはそんな夢を持った若者たちが毎年吸い込まれていく。東京は何でも叶う街だし、何者にでもなれる街だ。反面、なりたくない者にもなってしまう街でもある。その振り幅は日本中どこを探しても東京しかないだろう。もしかしたら彼らも深夜から早朝までバイトして、朝5時台の山手線や中央線に乗って23区外のアパートで10年後の活躍を夢見ているのかもしれない。

10年後の活躍を夢見ていたという点では私も同じだ。20年前に10年後のミュージシャンでの活躍を夢見ていた青年はマスコミに業界を変え、なんとなくではあるが、なりたい自分になれた。東京でなれた。ずっと東京に住んでいたというアドバンテージも大きかった。

アルバイトをしていた新宿西口駅直結の居酒屋のバックヤードは、夢追い人の巣窟だった。ミュージシャン・役者・ダンサー。全国各地から上京し、20年前に10年後の活躍を夢見ていた巣窟の夢追い人たち。朝5時にバイトが終わって飲みに行く先は、決まって歌舞伎町1番街をくぐった先にある24時間営業のモツ煮込みが200円で食える安居酒屋。もつ煮をビールで流し込み、これまた200円のポテサラをつまみに2杯目のレモンサワーを流し込む。20年前はハイボールブームがまだ再来していなかったので、ウイスキーをロックや水割りで飲むインテリ気取りのなんちゃってミュージシャンがいた。あいつはいま、数年後のブームに負けて普通にハイボール飲んでるのか?「だるま」をロックで飲むその姿、好きだったんぜ。

2時間飲んでひとり2千円ずつ出して店を出る。すっかり空が明るくなった歌舞伎町からスタジオアルタのビルを右手に見て歩き、新宿駅東口から改札に入って西口方面へ向かい15番ホームへ。朝7時台の山手線に乗ると出勤途中のサラリーマンやOLが明らかに私たちを「この酒クサ野郎どもが」と嫌悪感を示しながら見てくる。すんませんという思考がないくらい酔っ払って喋っているから声もまぁでかい。いまだったら素直に謝れるけど、あの頃は無理だったな。なんでだろ。若かったからかな?

あれから20年、彼らはどんなステージにいるのか。mixiからFacebookにInstagram。まだSNSでつながっている人もいるから、一部の人の活動はわかる。活動と言っても、夢見たほうの活躍とはまた別の活躍。そんな人生でも構わない。本人が幸せならね。もう朝の5時過ぎからお酒を飲む人生を送ることはないだろうけど、あの頃の私たちは青臭い青二才だったけど、新宿という街が守り神に就いていて、何者にでもなれる気しかしなかったんだ。

東京を離れて福岡にいる私。時が経てば経つほど、東京という街を客観視することができている。ずっと東京にいたからこそわかる魅力や怖さもあったけど、客観視してみて初めてわかる魅力や怖さもあった。東京には馴染めない人は、一定数、間違いなくいる。巣窟を離れた地元に帰って生活している女性の話も聞いた。彼女は山手線の朝5時台には乗らない生活を送っていた。東京で夢を追うのってひょっとして、山手線に朝5時から乗れるほどの覚悟がないと夢を追う資格すらないのかもしれない。




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