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目標や抱負を戯言にしてしまう 何者かになりたいが行動しないあなたへ

原稿書いてカフェから自宅に帰る途中、この見出しの言葉がふと浮かんできて、「あ、これは書けってことだな」と、4000字の原稿を書いて帰宅してiMacの前でつらつらと書いてみることにしました。


2022年の抱負、いま思い出せます?

ツイッターのタイムラインにも毎年毎年、「今年の目標は…」「今年の抱負は…」的なツイートが流れています。2023年が終わる頃には95%以上の人がそんなの忘れるのに、なんで毎年毎年、戯言にするのかが理解に苦しむんですよねー。

2022年の社会を自分なりの視点で見たときに、「わーすげぇ、この人おもしれー!」って思う人に囲まれて助けられて生きてきました。その方々のおかげで視座も上がり、よりクリアに社会を見ることが出来るようになりました。ありがとうございました。

で、迎えた2023年。2022年に抱えていたいくつかのメンタルブロックがなくなって、どこかでフタをしていた自信のなさを解放できるようになりました。つまり「自分はすげぇやつだ」と躊躇なく思えるようになったんです。これ、自分の中ですごいこと。もちろん謙虚な姿勢はアリアリのままでね。

とはいえ、わたしは2022年の冒頭に目標や抱負を語ったわけではありません。そもそも、今年の目標も抱負も人生で一度も語ったことがないし、ここ数年は語ることのむなしさすら感じます。てか、なんで新年にならないと目標とか抱負を語るの?なんでんすかね。

言い続けてナンボの抱負に目標

目標とか抱負は語った瞬間から行動するものだと思っているんですけど、なにか間違っていますかね。逆に言うと、新年だからという理由で立てた目標とか抱負が叶うと思っているのかな。それって、新年だし言わないと周りから目標も抱負も立てられないダメなやつと思われるし、そんなふうになりたくねー的な感じで安易に立てるんですかね。豆腐の安売りはいいけど、抱負の安売りは個人的にはどうなのかなーって。

夢や目標を口にするのはタダだし、ツイッターとかで宣言して「がんばれー」って言ってもらったら、そりゃあ承認欲求も満たされて結構なことだけど、じゃあなんの行動をするの?と僕は問いたくなってしまう。

僕は18歳のときに「バンドでメジャーデビューしたい」と言い続けて、7〜8年フリーターをしながら練習したり曲を作ってきた。別に1997年の年初に宣言したわけでもなく、周りの人に「あのフレーズが弾けるようになった」とか、「作曲理論本を買って1曲作ってみた」と言い続けながら、活動を続けていた。

27歳で放送作家になったときも「ゴールデン番組担当したいっす」「大きい特番やりたいっす」と言い続けて、かなった目標もあった。2008年の年始に「放送作家でゴールデンやりたいっす」なんて、安っぽすぎて言う気にもなれなかった。だって、常に思ってて、マネージャーとかディレクターに言いまくっていたから。

目標や宣言なんてものは、いつも言い続ける、普段から息を吐くように語り続けるくらいがちょうどいい。でも、それをやると周りからバカだと思われるし、行動しないと言うだけ口野郎になってしまうので、怖くて言えない状況が生まれる。

結局、1年に一度しか言わないのは、それくらいの塩梅が誰もなんも文句をつけないからなんでしょう。きっとね。

ツイッターには何者かになりたい人が、思い思いの抱負を語り、夢を綴っていますが、かなう確率は5%くらいでしょう。9割以上の人が口だけで行動しないから。

さっさと行動すればいいのに。年始だろうがなんだろうが、関係ないっすよ。家族団らんも親戚団らんもいいけど、きょう行ったカフェには新年とか関係なくテキスト開いている社会人、結構いたよ。いろいろ目標立てて行動しているのすごいなと思ったし、刺激もらいました。

自己啓発本がこの世からなくならないのは、行動しない人間だらけという社会を反映していると思っているきむ兄です。





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木村 公洋@コラムニスト・PRコンサルタント
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