言う。

30代後半、ほぼ専業主婦、中学受験を控える子を筆頭に3児の母、社会経験なし、夫が急逝、人生詰んだわ ーそんな私の負けない毎日。

言う。

30代後半、ほぼ専業主婦、中学受験を控える子を筆頭に3児の母、社会経験なし、夫が急逝、人生詰んだわ ーそんな私の負けない毎日。

最近の記事

過労死でないのか、問うてみた。

3日目、来客の多い日だ。 まずは夫の上司が2名スーツを着てあいさつに来た。 もちろん事前に来ることは知っており、私は元労働組合組長の父、弁護士の義父を左右に従えて、準備万端。 お悔やみの言葉から始まり、いかに慕われていたか、そして最近の勤務状態などの話をした。 正直、過労死は疑っていたし、勤務に対する不満からストレスが募っていたのではないか、そんなところも正直にぶつけた。 それに対して、1分からしっかり勤怠をつける会社であり、残業時間も問題なかった。労働問題に取り組んで

    • 2日目の夜

      2日目の夜。 末っ子と寝ようとベッドに入った。 少しすると大きなお腹の音。 「ママ、お腹すいた」 夕ご飯をあげていないことに気が付いた。 それまで気が付かなかった。 そしてそれを言い出せなかった6歳の子ども。 あぁ、やばいなと思った。

      • 死因特定

        解剖が出来る病院ではテレビもある清潔な個室に案内された。 父が近くに住んでいたので一緒にいてくれた。 私は基本的に人前で泣かない。 泣いてはいけないとか自分に課している訳ではない。そういう性格なんだろう。 父ともポツポツ話したり、ちょっと涙ぐんだり、そして関係各所と電話したりして1~3時間くらい待った(時間の開きが大きくてごめんなさい。意外に早く終わったような、実は結構待ったのか正直よく覚えていない)。 そして、ついに呼ばれた。 死因は、 エコノミー症候群、だった。

        • 出頭要請

          夫が亡くなった翌日、警察へ出頭要請があった。 ママ友が車を出してくれ、 「これから分からないこと、色んなことが言われると思うから  とりあえず何でもメモして、自分もそうだった」 と手のひらサイズの手帳をくれた。 何でもメモする、これは本当に役に立った。数か月持っていた気がする。 だって喪主がなんだ、通夜がなんだ、退職金がなんだ、そんなの何もわからぬ世界に身を置いていたのだから。 さて、警察に何で呼ばれたかというと「不審死」だからだ。 事件性は疑われている気はしないが、解剖

          6歳、心を守る方法

          あの日、6歳の末っ子(6歳になったばかりだった)はどうしていたか気になるのではないだろうか。 大泣きして、母を困らせていた。 そう想像することだろうし、私も第3者の立場ならそう想像しただろう。 実は、 幼稚園に行っていた。 時系列にざっくりと整理すると、 7時ごろ夫発見 8時半ごろ死亡確定 9時過ぎタクシーで帰宅。 そのタクシー内で末っ子が「幼稚園行く!」と言い出した。 正直助かったと思った。 私も心の整理、それに事務処理などやることがたくさんあった。 子どもにと

          6歳、心を守る方法

          来訪者

          夫が突然旅立った日、家に帰ってからはまずはいろんな人に知らせなければと思った。 仲の良い友達には電話をしたり、グループラインで報告したり。 訃報を聞いて、会いに来てくれたいとも何人かいた。 甘いものを食べてくれと、マリトッツォを持ってきてくれた友人。 (子供が幸せの味だから食べてごらん、と言ってくれたが食べれず) 駆けつけてくれた友人の一人には、ごめん今会えないとインター越しに断ってしまった人もいる。 印象的なのは福祉関係に務めている子供が生まれる前から知っている近所

          不審死、つまり警察が来る。

          夫の死亡宣告が来て、数時間後警察が家に来た。 実況見分というのだろうか、どこで亡くなった、最後にあった様子はどんなだったか、パソコンで最後はどんなページを開いていたか。 私のスケジュール帳も確認された。 夫の最期を写真に収めたことは前にも書いた。 なんて不謹慎なことをしたのだろうと罪悪感もあったが、この写真が警察の見分には大変役に立った。 このノートはできるだけ時系列に書こうと思っている。 それでも思い出せないことが多い。 多分この翌日に警察に行くことになる。 よくあの

          不審死、つまり警察が来る。

          天が泣く

          夫の死亡宣告を受けるまで待合室で何をしていたかというと、ほうれんそうだ。 夫の職場 子供が通う幼稚園・学校 パート先 折り返してきた実家 「今どうなっているんだ」「何があったんだ」 こっちが知りたいわ! ってことが聞かれた。 この空き時間に「関係各所への連絡」はその後半年近く続くことになる…。 救急車に乗り込むとき荷物として持ち出したもの ・自分のスマホ ・財布 ・保険証 ・夫のスマホ があった。 死亡確定した後、夫のスマホを使って仲の良い人に伝えたのは覚えている。

          天が泣く

          あの日のこと③

          救急車では許可をもらって電話をかけた。  ①職場  ②実家  ③義父 この順番でかけた気がする。 これはぜひ伝えたいこと、 パートナーの職場の電話番号を電話帳に入れておくべし!! 何人かの知り合いに言われた、 職場の電話番号なんて知らないよっと。 検索すれば代表電話番号も出るだろうが、今すぐに伝えたい現場や上長の番号を緊急時にすぐ出ますか? うちは元々急な呼び出しでかかってくることもあったから、一応私も登録しておいた。 後日知ったことだが最初に電話を受けた人、その隣

          あの日のこと③

          あの日のこと②

          救急電話はすぐ繋がった。 「どうしましたか」 「あっ、あの、夫が、起きてたら、倒れてて」 そんなことを言ったと思う。 「まずはゆっくり息をしてください」 と言われた。 2回くらい言われたと思う。 私のことはいいんだ、とりあえず夫の状態を話させてくれ、急いで来てくれ! 動揺しているけど、私はまともに喋れるから話させて! あとから子供に聞いたらすごく息が早かったよ、と言っていた。 そうだったろうな。 さて、浅い深呼吸をしたあと、住所、状態を伝えた後、心臓マッサージの指示が

          あの日のこと②

          あの日のこと①

          朝、起きるとベッドには夫はいなかった。 リビングで寝ているなと7時に起床。ちなみに木曜日だった。 今でもよく覚えている。 テレビはつけっぱなし、ニュースが流れていた。 エアコンもつけっぱなしで、リビングはキンキンに冷え、静謐な雰囲気を感じた。 うるさいはずなのに静か、そんな違和感を感じた。 リビングにはベンチタイプの椅子を置き、夫はそこでPCをよくしていた。 そして彼はベンチの下で倒れていた。 例えるなら酔っ払いがベンチで転んでいる寝ているような。 「えっ、うける。ダン

          あの日のこと①

          朝起きたらリビングに、夫の死体があった。

          「朝起きたらリビングに、夫の死体があった。」 なんて刺激的なタイトルをつけてしまい申し訳ない。 初投稿なので気合入れて、釣りタイトルを考えてしまいました。 言い換えて「起床したら、そこには死後硬直の始まった夫がいた。」としても、変わらないかしらん。 前振りが長くなりましたが、はじめましてこんにちは。 約2年前夫が急逝してからのことを、備忘録も兼ね書いていこうと思います。 まずは軽く自己紹介を。 当時38歳、週1のパートをするほぼ専業主婦の私と、現場職の37歳夫、中学3年

          朝起きたらリビングに、夫の死体があった。