見出し画像

17日目/21。。。風のように。。。

自粛中に公開されたスピッツのライヴ動画を観て涙した。
大好きだったけど、この5年くらいちゃんと聴いてなかった。動画を観てからは毎日のように聴いて歌っている。その度にまた涙。今日はなぜか "夏が終わる" がずっとぐるぐるしてて、曲をかけながら歌ったらやっぱり泣いた。これから夏が始まるというのに。。。他にも何曲か聴きながら歌ったのだけど、途中で「はっ」とした。この草野マサムネさんという偉大なお方は、"何もない" という感じがした。
わたしが感じた "何もない" というのは 、欲がないとか、意思の力がないとか、それは聴いてる人をどうこうしようとかが全くない。ということ。それが腑に落ちたのは、"渚" という曲の "風のような歌 届けたいよ" という歌詞で。「あぁ、残らなくてもいいんだ。」と思った。そりゃ人間だから欲はあると思う。でもきっと歌う時は、そういう状態なんだろうな。
"渚" は、特に好きというわけでもなく殆ど歌ったこともなかったのだけど、ライヴ動画で "風のような歌 届けたいよ"  この歌詞が耳に入って、キュンとなった。
んん?どこかで聞いたような。。。あぁ、これは自分が思っていたことと近いかも。2年位まえにクリーンランゲージという言葉から自分の深層心理に気づいていくワークを友達から受けた時にテーマは "歌うこと" だったと思うが、出てきたのが ”風になる" だったのだ。わたしは歌うことで風のようになりたいと思っていたのだ。"風のような歌 届けたいよ" とはちょと違うかな。。。なんとなく憶えてはいたけど、これがどういうことなのかわかっていなかった。結局、今までの歌の練習でめざしていたことだった。"風のような歌 届けたいよ" のおかげでそれが繋がった。わたしも草野マサムネさまのように "何もない" 状態で歌いたいのだ!

そして、この "何もない" というのは 、私たちがLAS(本郷綜海ヒーリングスクール)で教わったことでもある。歌うこともヒーリングも同じなのだ。でもわたしはまだまだジャッジしたりどうにかしようとしてしまう。歌うとつい力が入ったり、何かを込めてしまったりする。(それでもいいんだけど)これはスキルでできるのだとヒーリングスクールで教わった。そうだよね、そうじゃなければ欲が全部なくなるまでできないってことだもんね。そんなの無理だし。そう、不完全なままでいいのだ。セッションする時、歌う時にそのスキルでやれば。そのスキルがグラウンディングなんです。基本は意識を身体に根差すこと。これを日々日々深めていく。どこまでもどこまでも深めるのです。そうして自分の中もクリアになっていく。いい人になるんじゃない。不完全なままの自分を受け入れて愛することができるようになる。そうすると、人のことも自然にジャッジしなくなる。人の不完全さが愛しくなったりする。そのままの美しさが観えるようにもなる。

草野マサムネさまがグラウンディングを知ってるかって、多分知らないだろうけど。世の中には、そんなことを知らなくても自然にできちゃってる人っているんだよね。うらやましいことに。マサムネさまは、柔らかい中心軸をお持ちのような感じがしました。ガシッと固まったよくあるスポーツマンのようなのでなく、柔軟な中心軸。泣きながらもついついそんな見方をしてしまうわたしです。

マサムネさまの歌詞は 相変わらず、わかるようなよくわからないような。。
マサムネさまほどの繊細さがないわたしには不可解なところが色々あるけど、それでもキュンとくる感性を持てたことは凄く嬉しい。こんなに素晴らしいスピッツの歌を知ることができて、歌えるのだもの。常々思う。この世の中に素晴らしい歌は数多あれど、生きてる間に幾つ出会えるだろう。本当にありがたい。

マサムネさまは、どうしてあんな表現ができるのだろう。
わかるようなよくわからないような。。。は、本当に凄いのだ。
意味はわからないけどキュンとくるって何? アタマではないのだな。
ああ、どうしたらあんな風な表現ができるのだろう。。。気がついてみれば今日はそんなことばかり考えていた。
えっ?!! 詩を書くの?!まさか?でもふとそんなモードになっている自分がいる。言葉に出すのが苦手だった。ずっと、どうせわかってもらえないと思い込んでいたから。最近、声の響きを体感で学んだりして言葉ってなんだろうと思い始めていた。
わたしでも思いを言葉で表現することができるのだろうか。恥ずかしい気もする。
でもちょっと嬉しい気もする。。。なんだか思いも寄らない方に向かってる。。。

読んでいただいてありがとうございます。♡


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?