幼少期~成人するまでの私
家族の紹介が一通り終わりましたので、私の事について
書かせて頂きたいと思います。
幼少期
私は、幼少期からお母さんの後追いをするような子で
ちょっと、お母さんの姿が見えないと不安になって探し回る
とても臆病な子でした。
どこかに居なくなったらどうしよう、置いて行かれたらどうしよう、と
いった不安感がいつも心の中にあったのだと思います。
とにかく甘えん坊で寝る時も隣にお母さんがいないと安心できない、
目が覚めて隣にいないと探し回る、の繰り返し。
小学校低学年までは、そのような感じだったと思います。
その背景には、お爺ちゃんとお母さんが度々喧嘩をしていたので、
お母さんを守らなくては!!というところにあったのかもしれません。
それだけ子ども心は、傷つきやすく情緒不安定になってしまうのですね。
それもあってか、おねしょも度々していました。
小学生時代
小学校低学年までは肥満児で生まれた時から大きかったので痩せていた時は
これまで一度もありませんが(笑) 小学校高学年になると背が伸びてきたので、そんなに目立たないくらいのぽっちゃり体系になりました。
私の子供の頃は、同じ学年が一時期400~500名位いて最大で12クラスあった時もあり、その後2つの学校に分けられたので7~9クラスに落ち着きました。
小学校低学年までは、どちらかと言うと大人しい子だったと思います。
高学年になって、お友達に恵まれて、男女仲良く一緒に遊んだ覚えがあります。
当時、仲の良い友達と交換日記をしたり、お手紙を書いたりと楽しんでいました。 懐かしいですね( ´∀` )
中学生時代
中学校は小学校の隣にあったので、場所が変わっただけで何ら変わりなく
部活に入って充実した日々を過ごしていました。
1年生の時は、コーラス部、2年生の時は、水泳部、3年生は、バスケット部と、いろいろと体験させてもらいました。
好奇心だけは旺盛だったので、同じことを続けるよりも何でもチャレンジしたい氣持ちが強かったのだと思います。
周りの人からは、飽きっぽいと思われていたかもしれませんけどね。( ´∀` )
高校生時代
高校生になると、ガラッと友達や環境が変わり生活も一変しました。
私の入学した高校は県立の女子高で、広範囲の人たちが集まっていました。
伝統のあるダンス部に入部したので、先輩、後輩の礼儀作法が厳しく、同じ廊下で先輩を見つけると遠くから立ち止まって大声で「〇〇先輩、こんにちは!」90度のお辞儀。 といった感じでした。
まるで宝塚のようですね!( ´艸`)
過酷な練習が続いた、ある日の朝、突然アキレス腱に激痛が走って立てなくなってしまいました。
片足だけだったら何とか松葉杖で歩けたのでしょうが両足同時だったので
このまま歩けなくなったらどうしよう!!と焦りました💦
父に車で外科病院まで運んでもらって筋肉注射を打ってもらってようやく
歩けるようになりました。(注射が痛くて泣きそうでした!!)
アキレス腱の炎症だけで断裂ではなくてホッとしました。
その後1ヶ月ほど部活を休部していましたが、しばらくして退部する事になりました。
高校2年の時にクラス変えがあり、私にとって衝撃的な出来事がありました。
以前、親友だった友達と良い関係だった彼氏から告白されて、迷いに迷った挙句、お付合いする事にしたのです。
その事が親友だった友達に発覚し、その友達は悔しさから周囲の友達に広めまくって私を無視して村八分にしようと企て、孤立されてしまった事がありました。
誰も話をしてくれない状態の中、たった1人駆け寄って来てくれた人が
今でも心友のお友達です。
心友が救いの女神様のように有難い存在でした。
彼女がいてくれたお陰で真っ暗闇にいた私の心に光が差し込んだのです。
その後、親友だった友達とも仲直り出来て、また楽しい高校生活を楽しむ
事が出来ました。
その時、お付合していた彼とは数ヶ月後に自然消滅のかたちでお別れしました。
ファミリーレストランでアルバイトしながら休みの日に遊びに行ったり、両親からお小遣を貰わず自分で稼いだお金でやり繰りしながら楽しんでいました。
就職
高校卒業後の進路は、初めから就職を希望していたので、アパレル関係の会社に入社しました。
就職先は、新横浜支店勤務。
同期社員は、11名だったかな?
私は結婚退職で1年半しかいませんでしたが、その時のお友達とは今でも仲良くしてもらっています。
あれから40年。
本当に月日が経つのは、アッという間ですね!!
懐かし過ぎる思い出です。