見出し画像

指先のビリビリ痺れから分かったこと

7月26日ライオンズゲートオープンの日から、はじめたブログ。
他界した実家の家族のことについて思い出しながら時には泣きながら
書き記してきました。
書き進めていくことで私のインナーチャイルドが、どんどん癒されていきました。
そこから判明したことがありました。
それは、辛かった時のことを自分で封印していたということ。

指先のビリビリ

今年の6月21日の夏至の日。
朝から砂浴のお客様が来られて、主人と2人で砂地で穴を掘って、お1人づつ丁寧に砂を掛けました。
その後から急に腕が痛くなって次第に指先がビリビリとしびれるようになりました。
しばらくしたら治るだろうと思い、砂浴をしたりマッサージをしてみたり整体所に行ってみたりしましたが、その時は良くなっても翌日には、またビリビリ。。
今日に至るまで治らないままでした。

ハーモニーさんの施術

この度、リピーターのむぅさんがお2人のお友達を連れてお泊りをしに来てくださいました。
お友達のお1人である男性にお話を伺ったら、今までの呼び名を改め、今日から「ハーモニー」にしました!!とのこと。
新しいお名前になったばかりのハーモニーさん。
「名は体を表す」の言葉の通り、今までのお顔やエネルギーが変わって、かなり柔和になったそうです。
写真を見せて頂いたら、なるほど!!明らかにお顔が優しい感じに変わっていました。

現在、試作中のスプレーを世に出す準備として沖縄で心身を整える目的で、頭皮診断をされているcoexistの福田公子さんの施術カットをしてもらいに遠路はるばる来られたそうです。
その後、お泊りしに3名でお越しになりました。

朝、お話をしていて、私の指のしびれの件を相談したら、ちょっと施術して
みましょう!とのことで、いつからその症状が出たか、どの部分がしびれるのか、など質問されて透視?して頂いたら51年前に起きたショックな出来事が影響しているとのこと。
直ぐに何のことかがピン!ときました。
それは、ブログにも書いていた「お爺ちゃんとお母さんの喧嘩のこと」だったのです。
51年前ということは、私が7歳だった時のこと。
いつも口喧嘩が絶えない2人でしたが、言い争いをしている間に興奮状態になったお爺ちゃんが急に包丁を持ち出してきて脅してきたのです!!
お母さんは開き直って「殺すなら殺しなさい!!」と立ち向かっていったのです。
私は幼いながらにお母さんを守るのに必死で、泣き叫びながらお母さんから離れませんでした。
そうしたら我に返ったお爺ちゃんは、包丁を置いて難を逃れましたが、幼かった私の心には深いキズとショックがトラウマになって残ってしまいました。
それを思い出さないように、いつしか封印していたのでしょう。
当時のことをブログに書きながら思い出して涙が出て止まりませんでした。
その時の状況を思い出しながら施術は続きました。
受入れて手放すことで解消されていくのですね。
心臓に左手を当てて筋反射テストをして頂いたら固く動かなくなりました。
そうしたらピタ!っと指のしびれも止まりました。

ハーモニーさんによる施術
筋反射チェック

お爺ちゃんからのメッセージ

施術をしている時に同伴してくださっていた、ひなちゃんが、いきなり
お爺ちゃんからのメッセージを降ろしてくださったのです。
それは、お爺ちゃんの愛の込められたメッセージでした。
「KIMIEには、もっと美に意識を持ってもらいたいし、そのようにサポート
してきた。この場所を通して、より良く表現して訪れる人たちに正しい道を指示していってもらいたい。」「首飾りをしたり、もっとオシャレを楽しんでもらいたい」
お爺ちゃんが主人を氣に入ったのも「職人気質を持った人だったから」だそう。
ひなちゃんも強烈なエネルギーを感じて震えが止まらなくなる状態にまで
なって、私たち夫婦にメッセージを伝え続けてくださいました。
「貴方たちは重要な役割を担っている、しっかりと助け合って、これからも
仲良くしていって欲しい」と私たちの手を取りながらメッセージを伝えて頂くださいました。
ひなちゃんの後ろには、むぅさんがサポートしながらみんなを守ってくださっていました。
3名一丸となって私たちを癒してくださって心から感謝です。

心の中に根深く残っていた

 お爺ちゃんの影響力は、とても大きく、強烈な人格で妥協を許さない職人気質の人でした。
恐ろしい思いをさせられた、お爺ちゃんだったけど憎みきれない、可愛いところや面白いところ、優しいところも知っていたので、もう、とっくに忘れていたので、まさかトラウマになっていたとは思ってもいませんでした。

指の痺れは、断然良くなっていますが、時々痺れが出た時に心臓に手を当てると、すぅ~と消えていきます。
薄皮を剝ぐように少しづつ思いを解放していけたらと思います。
ブログを書く氣になったことも含めて全て準備させられていたように思います。
全ては完璧なタイミングで起きていますね。
最強チームのみなさんに出愛えて心から感謝です。


お爺ちゃんの作品
高村光雲さんの弟子であったお爺ちゃん
どこかにあるであろう作品


80代の時に遺影の写真を自ら準備(写真館のモデルとして採用)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?