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【後編】愛猫ほわの病気経過と看取り

【後編】

◎抗てんかん薬について

12月6日
翌日は12月に入って最初の診察日。

この頃ほわの体重は3.6キロ。
2024年1月には4.8キロありましたから1キロ以上減っていることになります。
ヒトでいえば10キロ体重が減ってるのと同じなわけで、流動食がなかったらたぶんもっと早くに体力切れしていたことでしょう。


幸い強い痛みはないようで、ご機嫌も悪くない。
栄養たっぷりミールのおかげで毛艶もいいけど、やっぱり呼吸は少しきつそうだし全体のエネルギーは下がってきている感じ。

あまり声も出さなくなってきました。

細胞診の結果は、確定診断には至っていませんがリンパ腫(ということはほぼ悪性)の可能性が一番高いとの説明がありました。

「先生、この病状が治るということはあるんでしょうか?」

少しの沈黙ののち
「完全に治ることはないと思います」

先月までの状況では体力がついたら外科的な処置もしくは抗がん剤に進むことを検討するつもりだったが、今の体力では耐えられないと思うと言われました。

つまり、治療としてやれることは、もうあまりない。
できるだけ苦痛やストレスを少なくして、対処療法でしのぎながら最期が来る時期を伸ばすかしかない。

では最期までどのくらいの時間があるのか。

それは全くわからないんだなと理解しました。


実は11月末に出された抗てんかん薬について、脳の興奮を抑えるための鎮静効果がすごくて、飲んだとたんにぱたっと寝込んでしまうのでちょっと使うのを躊躇していました。

ですが、先生や猫飼い経験豊富な友人とも話して、てんかん発作リスクを考え、あらためてちゃんと抗てんかん薬を使うことにしました。

今振り返ってみると、抗てんかん薬でほぼ半日以上寝てるようになった結果、彼女の苦痛を減らすことには役立ったのかもしれないと思います。
ほわ自身の気持ちはわかりませんが。


食後にゆっくり抱っこ。

毎日流動食とステロイド、抗てんかん薬とサプリを入れながら
大きな変化なく静かに過ごすこと1週間。


もう乗り越えることはないけど、一応100均で買った柵を使ってます

12月13日
だいぶん慣れた圧迫排尿をしようと思ったら、量が少ないような?

12月14日



もう一度チャレンジしてもやっぱり少ない。
入る量はほぼ同じなのに、おしっこがぽたぽたとしか出ません。

ほわの様子自体はあまり変わらないけど、圧迫排尿で私がなにかやらかしたのかもと不安になり病院に電話したところ
「今から連れてきてください」とのこと。
土曜日の夕方でしたが、通常診療日だったので病院に行くことにしました。

主治医の先生は不在だったので別の先生でしたが、しっかり排尿させて下さり加えて私が苦手な排便もしてスッキリ。
やっぱりプロは違うなあと思ったのですが、帰り際に
「体温が下がっているのが気になりますので、暑くない程度に部屋をあたためて下さい」
と、声をかけられました。

ほわはキャリーに敷いたフトンの中でうとうとしてる様子で、たしかにいつもよりは気力が下がっていたけど、まさか数時間後に亡くなるとは。
私もまだそこまで思っていませんでした。

◎最後のとき

12月14日
病院から帰ってホッと一息ついて、先に私の夕食。
20時すぎにほわの夜の流動食と薬をチューブから入れて、私自身の風呂やそのほか雑用をすませるともうすっかり夜です。

メルとライラの晩ごはんをした頃からとっても眠くなり、22時過ぎからメルたちと一緒の部屋でうたたねしていました。

目が覚めたら0時半すぎ。

このままここで寝るわけにはいかない、とリビングに戻るとほわの様子が変わっています。

ぜーぜーというよりは、ひゅー、ひゅーという感じでほんの少し口をあけて呼吸する姿は、ヒトでいえば肩で息をする感じでしょうか。

だんだん瞳の瞳孔も見たことのない色にゆらいできていて、これは普通とは違う。

猫を看取るのは初めてでしたが、もうすぐ旅立ちなんだとわかりました。


そのまま私の膝に載せ、ずっと話しかけながらほわの顔を見ていました。

心配していたようなけいれんは起きず、吸い込むのに力を入れるような呼吸音だけが続いていきます。

2時間ほど見守っている中、だんだんと呼吸の間隔が遠くなり。


午前3時26分。

ほわ、10歳と7ヶ月。
穏やかに虹の橋をわたっていきました。



翌朝友人が届けてくれたお花。
淡い色合いがほわの毛色みたいでぴったりです。

私はほわの白にキャラメル色の混じった毛色が大好きだったので、少しだけ背中と首周りの毛とヒゲを切って形見にしました。
ジップロックに入れて時々眺めています。

それから先は、友人に教えてもらったペット霊園に連絡して火葬埋葬の予約をし、夕方霊園の施設で最後のお見送りをしました。

動物病院の先生、スタッフの皆さんにも大変お世話になりました。

今回の病気発覚以前に何度もお世話になった夜間救急動物病院、主治医の先生、CT検査以降通った病院。
いずれも皆さんによくして頂き、感謝しております。
ありがとうございました。


これがほわの病気の経緯と看取りの記録です。

ほわが亡くなるまでの1ヶ月、
しっかりマンツーマンで看病することができたので寂しいけれど、後悔はありません。

たぶん彼女もそうなんじゃないかな。

10年前、多頭飼い崩壊で保護された十数匹のうち、ほわは最後の一匹だそうです。

家猫としては10歳は早いけど、それでも多頭飼い崩壊の劣悪な環境を生き抜いて、一番長生きだったんですね。

ちなみに一緒に保護された他の猫ちゃんたちは猫エイズではなく、白血病で亡くなった子が多かったと聞きました。

今回ほわの血液検査では白血病陰性だったので、やっぱりタイミングとか体質とかいろいろな要因があるのかもしれません。

ほわは
身体こそ弱かったかもしれないけど
メンタルは誰よりも強くて
いつでも私のそばに寄り添ってくれました。



視力が弱くても持病があっても関係ない。

好奇心いっぱいに全力で遊んで大好きな人たちに可愛がってもらい、どの瞬間も生きることをめいっぱい楽しんでいたと思います。


毎日楽しく遊ぶ!


根っから人懐こくて
大らかな包容力があって
ヒトが大好き、信頼感たっぷり。


私を含む我が家みんなの
精神的大黒柱でした。



彼女が亡くなった
12月15日は
私の61回目の誕生日です。

私が毎年自分の命を考える日。

この日を選んだんだね。


ほわ。

我が家に来てくれて
私を飼い主に選んでくれてありがとう。

ほわ。


あなたと暮らした10年間ホントに幸せでした。


ほわ。

いつでもとびきり可愛かったよ。


たくさんの愛情をありがとう。

また会おうね。



前、中、後編と長くなりましたが
お読みくださってありがとうございました。

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