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嘘を積み重ねると感覚が麻痺するという怖いお話
あなたはどれだけ自分に正直に生きていますか?
自分に対する嘘を重ねるとどうなるかというと、恐ろしいことにその感覚が麻痺してくる。
ただ、多くの人はある日どこかで気付いたり、仕方ないといって割り切って生きていたりしている。この割り切りの能力を持っている人、僕は尊敬する。
なぜかって、自分にその割り切り能力はほとんどないからである。割り切りが必要とされる場面では、自分の感覚だと他の人の数倍パワーを必要にしているように思う。
そういう意味では僕はどこかバカ正直なんでしょう(笑)
前置き長くなりましたが、こんにちは、きみです。
今日は離婚やら別居やらって話題が混ざりますので、そういう内容ちょっと受け止めづらいって方は回れ右してください。
自分に対しての嘘を積み重ねていくうちに人はどんどん病んでいく。それを回避するために、「割り切る」ということができる人がとても多い。
やりたくない仕事を我慢してやってるサラリーマンの8割はこの割り切る能力がとてつもなく高いように感じる。
更に、それでもエネルギーを出し続けて輝けるっていう人がいるから僕からしたら尊敬しかない。
まず、言っていることと行っていることがズレている、違っている状態を自分に嘘ついてるとする。さらには自分の願望とか、自分で思い描いている自分の人物像と実際に行っていることがズレている、なんていうのも自分に対する嘘になる
「元奥さん」になる予定の人は自分が言っていることと行っていること、自分自身の思っている人物像と実態があまりにも大きく乖離していることに全く気付けない、ある意味かわいそうな人なんですが、ここから改善の見込みが欠片も感じられないので、ここ1年で勉強したことに共通して書いてあったのは「距離を取ること」の一択になった。
この辺の詳しいことは、惑星NPDモラハラ王国から地球への帰還、というシリーズで記事にしていく
嘘をつくことに麻痺すると、自己保身のために平気で嘘つく。しかもその自覚がない。真実を言っている子供に対してさえ、嘘ついてるのは子供の方だ!と平気で言える。さらに子供に間違ったことを教える。
いくらなんでもそれはひどいだろうって言うと、時間が経てば「あのときはそんな意味で言ってない」って発言ならまだマシな方で、「そんなこと言ってない!おまえの思い込みだ。記憶の捏造だ!」などという始末。
家庭内での何かちょっと改善しようって話も自分に都合が悪ければ「上から目線で言いたい放題いいやがって」って思考になるし、それをいちいち逆恨みしてなのか、しょうもないことで人の粗探しして、馬鹿にしたような発言を子供の前で日常的に繰り返す。
つまり、自分に対しての嘘を積み重ねると、末期症状になると自分が嘘ついてることに気づかなくなる。
そして自分の都合良いように話を聞いてくれる人に依存して、自分を都合良く扱ってくれる人にまた嘘つく、の繰り返しになる。
例えば、詐欺師
詐欺師は自分で「だます方も悪いかも知れないけど、だまされる奴の方がもっと悪いんだ」みたいな考え方だ(想像)
ただし「悪意」があることを自覚しているだけまだマシだ。その悪意を感じさせないような技術でもって詐欺をはたらくわけだから非常に能力が高い人だと思う。
問題は「悪意」すらない、天然で自分にも人にも嘘ついても自覚症状がない人間。希少だけど実際にいる。
似たような例で、世間で有名な人だと、僕の知る限りふたり思いつく。最近だと皇室と結婚騒ぎで揉めてるKK的な人。20年以上前だと地下鉄に毒ガス撒き散らした某宗教団体のナンバー2的な、あーいえばじょーゆーって人。
専門家ではないので断定はできないんだけど、自己愛性パーソナリティー障害とか、社会不安障害とか、虚言癖とか、そのへんの疑いが非常に濃いんではないかな?(本読んだりして勉強はしましたよ)
別居は子供のことがあったから、半年で10kg近く落ちるくらい悩んだけど、相手が子供に悪口吹き込んで吹聴させるような教育してて、しかもそれを「子供が勝手にやったことだ、自分は知らない」なんて相変わらずの自覚症状がない嘘を平気で言っていたので、同居状態では子供に争いを見せるのが日常となり、悪影響しかない。
子供も一緒に連れいくかギリギリまで悩んだけど、法的なリスクもあった。加えて、「子どもは、親の言うことはきかないけれど親のすることはマネする」というように、幼いとはいえ同じような、自己保身のためなら嘘で押し切るような言動をすでにしている我が子を見て、「そんな人間に育てた責任はとってくれ」って思いも少しだけある。
まだ親権についての決着はこれからなんだけど、統計的には絶望的確率。親子共依存状態っていう感じなので、いきなり虐待したり命の危機に瀕することはないだろうって判断もあり、断腸の思いで連れて行かなかった。
千尋の谷に我が子を突き落とすライオンの気持ちってこんな感じなのかも知れない
別居の決定打になったのは、「離婚しましょう」と言った時に、「私(相手)には何の問題もないし、改善することなんてない。だから離婚は拒否する。改善すべきは全てあなた(僕)だ。」って大真面目な顔して言い放ったこと。
これは到底自分の手に負えない。そもそも「楽しみながら成長し、成長するからまた楽しい」が座右の銘である僕にとって、自分の不都合全て他人にせいにしてマイナス成長を続けていることに気づこうともしない生き方をしてといる人とはどんな天才が思考をめぐらせても一緒に生きる道は探せないだろう。
ただし、振り返ればそのことに気付けないで結婚した僕も僕だ。思い上がって調子乗ってたといえばその通りやし、根拠のない自信と勘違いがあったのも間違いない。
ある意味、感謝である。このことがなければ自分の在り方を見直すことも、自分の哲学を見つけることも、新たな人生を進む計画すらもしていなかっただろう。
さて、別居して新たな家で自分ひとりになり、日々少しずつ自分と部屋を整える生活をしていて気付いたのが、「自分自身、えげつないくらい病んでたな」ってこと。
本来自分が持っている感覚が完全に麻痺していたことを痛感している。
言い換えると、本来の自分を取り戻してきているという感覚。
言ってることと行ってることが大きくズレてたなぁと。まぁ実際に言葉にはしてなかったので、正確に言うと「思ってることと行ってること」が大きくズレていた。
自分なりのイメージを簡単な言葉にすると、「雑な生き方」をしていた。
つまり、自分自身に大嘘ついてたのに感覚が麻痺していたのである。
なお、奥さんに感謝されるどころか、ATM扱いされたうえに、平気な顔して足蹴にして泥をぬるような生活を強いられてる男性にはぜひ思い切って別居をおすすめしたい。
まとめるために暗い話から離れます
毎日バイオリンを弾いてて思うことがある。出したい音が出ていない、思ったように弾けてない音が出た瞬間って実は頭の中のイメージと身体が微妙にシンクロしていない。(これを僕は「音が抜ける」と表現してます)
録音して聴き返すと、弾いている途中では気づかなかった粗がちょいちょい見つかる。あ、この音シンクロ途切れてるな、抜けてるな、みたいな。
本当はイメージした通りに奏でたい。けど、しんどいからまぁいいやって放っておくとなかなか上達しない。
反対に思った以上に表現できてる音もあったりすると楽しくなるし、もっと完成度高めたり、新しい曲に挑戦したくなる。
生き方、あり方も一緒。
自分の思いや言葉と実際の行動がシンクロしているほど人生が楽しくなるし、成長できる。だから「まぁいいや」で行動をやめることをしないと決心し、習慣とした。
どれだけ自分に嘘をつかないか、正直になるか。
自分ができないこと、下手なことも含めて、今の自分がある。それを受け入れるのが自己受容。
そこからできるようにするのか、頑張らないでやらない、の選択をする。決めたら正直にその選択をしたのだと堂々と発言をする。
それで良しとする。
嘘で自分の心を自分で傷付けるだけ感覚が狂い、麻痺してしまう。
瞑想やマインドフルネスといったツールはあるが、時々は自分の心の状態を見つめる時間を作ることはとても重要である。