#1 いじめに遭う / 中1
過去を振り返る中で、一番、思い出したくないのが中学です。
自分も傷つき、他人も傷つけてしまいました。当時は、学校という小さな世界が私のすべてでした。一人が怖い。嫌われたくない。周りの声や視線に敏感。根暗な私は、集団行動から外れないよう必死に生きていました。
始まりは、髪についた米粒だった
中1の夏。
給食後、数人の男女が私に対し意地悪な笑みを浮かべていました。続けて、リーダー格の男子が、「あいつ、髪に米粒ついているぞ」と言い、ほぼ全員が私に視線を向けました。その瞬間、終わったと思いました。
私のクラスは、荒れていました。問題児が多かったと思います。それに、担任が舐められており、担任いじめもあったぐらいです。問題児は教室を出れば、良い子ちゃん、部活動で活躍する生徒だったので、他のクラスの先生は見抜けなかったでしょう。
翌日から地獄でした。元々名前を呼ばれることが少なかったのに、「ツブ」と連呼される。あざ笑う。理科の実験はやらせてもらえない。トイレ掃除は汚物の片付け担当。無視される。もっと色々あったと思いますが、記憶から抹消してしまったので思い出せないです。自分の意思を押し殺し、ただ授業を受ける日々でした。
いじめのはけ口が妹に向く
やり場のない怒りの矛先は妹に向いてしまいました。当時、妹は、小3でした。私と違って、クラスの人気者で、学校が終わると家にたくさんの友達を呼んで楽しそうに遊んでいました。羨ましく仕方ありませんでした。
夜になるとよく妹に暴言を吐いていました。喧嘩も多かったです。叩いたり蹴ったり。結果、妹はストレスで夢遊病になってしまいました。部屋が二階なのに窓を開け、落ちそうになったこともあったようです。
原因を突き止めると私と分かり、父から呼び出され、思いっきり頬に平手打ちをされました。「お前のせいで○○が死にかけたんだぞ」何度も言われました。妹に対して申し訳ない気持ちと、やるせない気持ちで、その日はずっと布団の中で泣いていました。
もう耐えられない
いじめを受けてから休まず学校に行っていましたが、もう限界という日が来ました。確か、中1の冬だったと思います。私は、意を決し母に言いました。母は私以上に涙をボロボロ流し、「よく頑張ったね」と抱きしめてくれました。
翌日、母が学校に行き、私がいじめられていることを学年主任に伝えました。親身になって聞いてくれ、次の日には担任が学年主任に代わっていました。帰りの会では、私のいじめには触れず、「もし自分が嫌な目に遭ったらどう思うのか」を考える時間が増えていきました。
学年主任の目があるのか、みんなの考えが変わったのか分かりませんが、少しずつ、いじめは減っていきました。2年生になる頃には、いじめはなくなりました。
いじめ以外で思い出せること
剣道部に入部。クラス内だけのいじめだったので、教室を出れば、普通の学校生活を送れていたと思います。そのため、放課後は唯一、楽しい時間でした。先輩とも仲が良く、部室では毎日のようにお喋りをしていました。
ハードコンタクト。中学に入り、コンタクトデビューしました。乱視が酷い。母もハード。そんな理由でハードコンタクトになったと思いますが、初めてつけた時は痛くて涙が止まりませんでした。