想像していた以上に激しい批判家だった魯迅
子供の本や紙芝居を借りる時に、図書館で魯迅の本を見つけたので借りてみることにしました。
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児童書のコーナーにあったので、とても読みやすく、わかりやすい内容でした。
授業で魯迅の『故郷』を教えるので、魯迅の理解を深めるのにとても役立ちました。
魯迅といえば、東北大学にに留学に来たというのは有名な話です。そして、「幻灯事件」によって衝撃を受けたという話も有名です。「幻灯事件」とは、魯迅が東北大で、学生たちと中国人が日本軍に銃殺される映像を見て意識を変えたという事件のことです。
借りた本には、その事件の時の魯迅のことが次のように書かれていました。
魯迅が見たのは、銃殺されようとする中国人だけではありません。その中国人を取り囲むようにして、たくさんの中国人の見物客が映っていました。そして、彼らは一様に、お祭り見物にでも来たようにのんきな表情を浮かべていたのです。
魯迅の心を憤りと屈辱感でいっぱいにしたのは、むしろこの見物客のほうでした。
祖国・中国は、世界を襲った近代化の波に乗り遅れ、この間に起こった数々の戦争にも敗れて、いまやすっかり二等国扱い。固有の領土も当然の権利も、日本を含む世界の先進各国に食い荒らされるばかりです。
長くアジアの覇者であり、世界の強国だった祖国・中国は、なぜ、これほどまでにみじめに落ちぶれてしまったのか。
魯迅は、その答えが、同胞がいままさに銃殺されようとするときに、それをのんきに、ただぼんやりと眺めているだけの人々の表情にあると思いました。
民衆は傍観者でした。祖国が、同胞が、いかなる窮地にあろうとも、それを直視することなく、だ傍観者の心地よさから抜け出ようとはしない人々でした。
魯迅は、この民衆の精神性にこそ、今の中国の病巣があると思いました。そして、こう思うのです。
「彼らに、今、必要なのは医学じゃない」
私はこの文章を読んだとき、今の日本と似ているような気がしました。いえ、もっと厳密に言えば、日本の教育現場にも、同じようなことが言えると思いました。
もし魯迅が日本の教員に転生してくれたら、どんな文章を書いてくれるだろうかと、ちょっと期待してしまいました。
さらに、魯迅が瀕死の病床で書いたとされる文章に衝撃を受けました。
西洋人は臨終の際によく儀式のようなことをして、他人の許しを求め、自分も他人を許す、という話を思い出したことだ。私の敵はかなり多い。もし新しがりの男が訊ねたら、なんと答えよう。私は考えてみた。そして決めた。勝手に恨ませておけ。私のほうでも、一人として許してやらぬ。
かなり強気です。近代化のために、これほどの気の強さを、私も見習いたいです。