SOOPで気づく「休息」
ARMYのみなさんはSOOP🌳見ていますか?
わたしはSOOP🌳が本当に大好きなのだけれど、
SOOP🌳を見始めて、
「本来の休息」
「その人にとっての休息」
なども深く考えるようになった。
これはきっとわたしだけではないだろう。
静かに読書を楽しむメンバー、
めちゃくちゃ喋りながらゲームを楽しむメンバー、体を放り投げて休むメンバー、
とにかく体を動かし続けるメンバー、
日頃できないことに意識して取り掛かるメンバー、
普段とあまり変わらず過ごすメンバー、
とにかく誰かと一緒に何かを楽しみたいメンバー、
他愛ない会話やゲームが好きなメンバー、
歌を歌い続けるメンバー、
そして、おいしい料理をみんなで作ってみんなで食べるバンタン。
7人それぞれが望む「休息」を
編集というフィルター越しにでも見て思うことは、
一人一人が「自分に合った休息」を知っているんだな
ということ。
これって意外と難しい。
気分転換に!と思って友達と出かけても
家に帰ると「は〜やっぱり家が楽」と思ったり、
一歩も外に出ないで夜を迎えると
「ああ、今日わたし何したんだっけ」と虚しくなったり、
体を休めよう!と太陽が真上に上がってもなお眠るけど、
夕方になって「ああ、なんだか結局体だるいな」
「もう1日が終わってしまった」
「明日からまた日常が始まるのか」となんとなく情けなくなったりする。
自分が求める休息ってなんだろう。
23年生きてきて、最近ようやく考えるようになったし、ようやく分かるようになってきた。
「ああ、なにも生まれない1日だった」
そんな日も、わたしにとっては大切な休息であり、
「友達と遊ぶ、誰かと時間を共有する」
例え家に帰って1人ほっとしたとしても、
やはりこれもわたしには大切な休息になっていて、
他人から「え?1日がもったいない」と思われたとしても、わたしが良ければそれで良い。
わたしが心ゆくまま休めていればそれで良い。
この時間から「癒し」や「エネルギー」を感じていればそれで十分なのだ。
SOOP🌳を見ているとすごくそれを感じる。
メンバーそれぞれの過ごし方をメンバーは誰一人として否定しない。
「あの人はああやって過ごすと癒されるんだね」
そんな優しくて受容のみの空間を見ていると、
わたしの描く休息も、間違いではないんだろうと思える。
皆さんはどんな休息を望むだろう。
わたしのいちばんの休息は「彼ら7人を見ること」。
誰に何と言われようと、
わたしからするとかけがえのない時間であり、
これを無くしてわたしは日々を頑張れない。
大好きで心から愛する彼らが
カメラの前であったとしても忙しいスケジュールの中でSOOP🌳を通して
「彼らなりの休息で楽しい時間を過ごした」
その事実が何よりもわたしを癒し、
彼らも頑張ってるしわたしもまた明日から頑張るか、と前向きな気持ちにさせる。
「あなたも自分の思うままに休んだらいいよ」
そんな風に肯定してくれる彼ら7人が、
そんな要素を持つSOOP🌳が、
わたしは愛しくて大切でたまらない。