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10年間コーヒーを飲んできた僕がおすすめする豆3選

 お店で飲むコーヒーもいいですが、最近はお家時間ということでコーヒーを自分で淹れて家で飲む人が増えてきていますね。
そんな宅飲みブームにのっかり、コーヒーをはじめてみたい!
と思っている方や、以前から家で淹れているけど、もっとこだわってみたい!

そんな方に10年間宅飲みしてきた僕がおすすめの豆を3つ紹介、、、、



するわけありません。


先にっていおくが今日の僕は躍起になっているのです。なぜかというと、前回書いた記事
「哲学者だらけのコーヒー大会」
この記事だけ圧倒的ににビュー数が少ない、リアクションが鈍いからだ。


僕としてはどの記事よりも魂を込めたし、時間をかけた。なのに散々な結果、、、コーヒーでも飲んでリラックスしようか~♪なんて気分じゃない。
酒に溺れながら世の中の愚痴でも言わないとやってられないのである。

その腹いせに、ビュー数が伸びそうなタイトルをつけ、そんな生ぬるい記事なんてくそ食らえ!という過激な思想に走っている。既にあるものをオススメしたり、解説したり、感想を述べたりするものがいかに楽か、と。

僕の記事、中身はペラッペラだが、経験の中から自分でテーマを設定し、そこに持っている知識を使って自分なりの論を構築する、という骨の折れる作業をしているつもりだ。

しかし、便益ゼロ、ドーパミン分泌量ゼロ、権威ゼロと見事に3拍子揃ったものをネット界で誰が求めるだろうか。
簡単でわかりやすく、すぐに役に立つもの、これには勝てない。間違って戦いを挑んでも結果は明白。
グリコの姿勢で井上尚弥のパンチを受けるようなものだ。

キング・オブわかりやい&役に立つ

  頑張ったのにビュー数が伸びないという悩みを前述した。
これに対し、もしかしたら嫌よ嫌よも好きのうちなのか、アドラー心理学を思い出してしまった。
どうやらある本が大ベストセラーになるなど、大ウケらしい。
僕の状況はアドラー的に言わせれば、
・他者が記事を見る見ない/好きか嫌いかは他者の課題なので、自分の努力とは切り離す。
・僕の記事は役に立つ内容ではないからビュー数が伸びなくて当然だというのは、面白い記事を書く力をつけない言い訳である。

とざっとこんな感じだろうか。

改めて見ても、こんな危険な考えが大ウケしていると思うとゾッとしてしまう。この考え自体にゾッとするのもあるが、それよりもこれが大ウケしていること。
考え自体にゾッとするところは、これで何もかも説明/論破できてしまうとこ。これを使えば異論の余地がない。というか、原因は関係ないとか、自分の外は関係ない、そういうものだ!と言われたら異論を唱える気も失せてしまう。

どんなに偉大な人やモノ、考えでも異論を唱えることができます。むしろ異論を唱えられるからこそ偉大なのです。ヘーゲルの弁証法のようにそうやって人類は進歩してきました。

アドラー心理学が大ウケしているのは恐らく、明快でシンプル、且つどんな人のどんな場面にも適用できるところでしょう。
個人的には、何百万人もの人が、胡散臭い壺を買わされているのと同じ。
でも、それだけ簡単で考えずに済む、速効性のあるものがウケることが証明されたような気がします。

振り返り

と、八つ当たりも済んだところで、ちょっとだけ振り返るとする。
前回の記事「哲学者だらけのコーヒー大会」がなぜ、アドラー心理学のようにウケなかったのか。

僕としては、自分が好きだけど、少々マニアックで難しいものを、噛み砕いてい身近な例に落とし込み、面白おかしく仕上げたいという狙いがあった。同じジャンルでいうと飲茶さんの史上最強の哲学入門的なノリです。

飲茶さんと僕ごときを比べることはナンセンスなのだが、飲茶さんがウケて 僕がシラケている差の根本は、
「難しいことを難しいまま理解しているかどうか」
ここにつきる。ユーモアのセンスだなんて言ったらぶち殺されます。

よく「頭のいい人は難しいことを簡単にできる」といいます。その通りだが、これだけでは風が吹けば桶屋が儲かるくらい言葉不足。

飲茶さんは、難しいことを難しいまま理解し、難しいままアウトプットできたうえで、それを簡単にしているのです。

僕の場合はまず、難しいことを難しいまま理解することからです。無論、それは決して次のステップであるアウトプットを目的とせず。
最近はアウトプットを目的とするインプットとやらが流行っているらしいが、アウトプットを目的としていては、理解できるところしか手をつけません。

後先考えず、まず目の前の相手と格闘する。
胡散臭い壺に逃げず、僕たちはまず、格闘しきらないといけないのです。


セブンのハンバーグうまっ……

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