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字幕翻訳者が語る『モロッコ』の世界──セリフ、字幕、そして心に残るラスト
1.映画について
Morocco:1930年(昭和5年)パラマウント製作映画、90分
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
主演:マレーネ・ディートリッヒ、ゲイリー・クーパー
当時の日本の興行界はサイレント映画が中心であり、全国の映画館には楽隊と活動弁士が常駐していた。トーキーのアメリカ映画を上映する際には、台詞を追いかけて弁士が日本語で解説したり、サウンドトラックをカットして音声を流さずに弁士が解説したり、吹き替え版を作成したりと苦心がなされていた。日本語字幕が付されたことで、本作の上映に関しては、弁士が不要となってしまい、配給元のパラマウント映画に抗議が行われた。結果的にはこの方式が現在に至る主流となっている。
上の解説にもあるように、この映画は日本で初めて字幕がついた映画として知られている。翻訳者は田村幸彦氏。
2025年1月現在、『モロッコ』はアマゾンプライムで配信中。吹替・字幕版とも視聴できる。
2.ストーリー
ターバンを巻いた男たちとヒジャブの女性たち。異国情緒あふれるモロッコの街に外人部隊が凱旋してくる。その中にひときわ背が高くてハンサムな兵士がいる。女たらしのトム・ブラウン(ゲイリー・クーパー)だ。その夜、彼ら兵士や着飾った男女が集う酒場で歌っていたのが、美しく妖艶なアミー・ジョリー(マリーネ・デートリッヒ)。
アミーの声は低めで、歌はさほどうまいと思えないが魅力的である。トムは彼女に一目で惹かれる。夜、彼女の部屋を訪れて言い寄るが、うまくかわされてしまう。
部屋を出ると、トムの浮気相手である上官セザールの妻が待っていた。彼女は嫉妬のあまり、モロッコ人2人にトムの殺害を依頼する。だが、襲われたトムはモロッコ人をやっつけてしまう。その一部始終をセザールが見ていた。
翌日、セザールに呼び出されたトム。セザールは妻が仕掛けたことは隠したまま、モロッコ人への傷害罪でトムを追及する。だがその後、トムを軍法会議 (court‐martial)にはかけずに転属させ、危険な前線に送り込む手段に出た。
トムは出発前にアミーに会いに行く。「行かないで」とすがるアミーにトムは「貨物船でヨーロッパに逃げるつもりだ」と告げる。アミーは自分も一緒に行くから待っててほしいと言い残して舞台へ。
トムはアミーを待つつもりだったが、彼女が富豪のベシェールから求婚されたことを知り、鏡に "I changed my mind."(気が変わった)と書き残して消える。たぶん口紅を使ったのだろうが、なにぶん白黒映画で文字が白く見えるのでよくわからない。
トムは翌日出発する。アミーもベシェールと共に部隊を見送る。トムは女たちに囲まれて別れを惜しんでいる。アミーが近づくと、「さよなら、マドモアゼル」とすげない言葉を残して行ってしまう。部隊の後ろには、ボロをまとい大きな荷物を抱える数人の女性たちがいた。彼女たちは、兵士の世話をする後方部隊(rear guard)と呼ばれていた。
部隊は要塞都市モガドール(現在のメディナ)へと向かう。途中、敵と遭遇した際セザールはトムを偵察隊に指名する。セザールはトムの後ろを歩く。隙あらば、敵に殺されたことにしてトムを撃つことも可能だ。が、敵からの攻撃を受けて殺されたのはセザールだった。
一方、アミーはベシェールからの求婚を受け入れる。お披露目の食事会の前にセザールの死を知り、トムの安否が気になるアミー。食事会の途中で外人部隊の行進ラッパが聞こえると、居ても立っても居られなくなり、外へ様子を見に行く。
だが、一行の中にトムの姿はない。彼の上官を見つけて問いただすと、トムはケガをして現地に残ったという。アミーが屋敷に戻り、今すぐ現地に行きたいと言うと、彼女を心から愛するベシェールは、食事会を取りやめて車を用意させ、彼女と現地に向かうことにする。
現地に行ってみると、トムの姿は病院になかった。聞けば、ケガをしたというのはウソで近くの酒場にいるという。アミーがそこに向かうと、女と一緒に酒をあおるトムがいた。彼を心配して飛んできたアミーに「何しに来た」とすげないトム。2人はサヨナラも言わずに別れるが、トムが去った後、テーブルにナイフで彫られた "AMY JOLLY" の文字を見つけ、アミーは彼の本心を知る。
再び部隊の出発の日、今回もアミーはベシェールと共にトムを見送りに行く。彼と別れのあいさつをし、部隊と女たちが去ると、アミーは今度はベシェールに別れを告げ、突然砂漠に向かって走っていく。歩きにくいハイヒールを脱ぎ捨て、部隊のあとを追って砂漠の中に消えていくのであった。
3.印象的なセリフと字幕
*英文は聞き取ったもの。( )は直訳。太字は字幕訳。
①部隊が街に戻ってきた最初のシーンで、上官が兵士たちに「お前たちは "酒は飲み放題、女も選び放題だ” と思っているだろう」と言ったあとに続くセリフ。
"But, you are wrong."(だがそれは間違いだ)→ 調子に乗るな
"This time, you gonna behave yourself like a gentleman. Even if it kills you."(今回は紳士のようにきちんとした行動を取れ。苦しくてもな)→
節度をわきまえた行動をとれ / 紳士のようにな
②アミーが初めて舞台に立つ前、支配人がアミーに言うセリフ。
"The house is packed."(店は満席だ)→ 今夜はチャンスだぞ
③トムがアミーとの別れの際に言うセリフ。
"I wish I'd met you ten years ago."(十年前に君に会えていたらなあ) →
十年前に会いたかった
④アミーがセザールの死を知り、ベシェールから「トムはきっと明日帰って来る」と言われた時のセリフ。
"You don't need to be concerned about him, dead or alive."(あなたは彼のことを気にする必要はない。死んでようと生きていようとね)→ 彼の安否など私には関係ないことよ
それを受けて、ベシェールがアミーに言うセリフ。
"You still have time to tell me."(君はまだ私に(本当の気持ちを)告げる時間がある)→ 今ならまだ間に合うぞ
⑤トムがケガをしたと聞き、アミーが駆け付けたモガドールの酒場で再会したトムとアミーのセリフ。
"Aren't you gonna marry that rich friend of yours?"(あの金持ちの友人と結婚するんじゃないのか?)→ あの金持ちと結婚するのか?
"Of course."(もちろんよ)→ そのつもりよ
"Are you sure?"(それは確かか?)→ 気が変わらないか?
"I don't change my mind."(私の気持ちは変わらない)→ あなたと違ってね
この最後のセリフは、上のストーリーを読んだ方はお気づきかと思うが、トムが最初の別れの際に鏡に書き残した "I changed my mind."(気が変わった)を受けたものだ。これを「あなたと違ってね」と訳されたのはさすが!
4.感想
映画で特に印象的だったのは、ゲイリー・クーパーの背の高さとマレーネ・ディートリッヒの脚の美しさ、そしてモロッコ人の巻き舌!ものすごく長くRの音を巻いていてみごと。日本人にはマネしにくい発音で、それこそ「舌を巻く」技であった(笑)。
ストーリー的には、ふつうなら最後にまた別れておしまい、となりそうなところを、アミーが富豪との優雅な生活を捨て、後方部隊の女性たちと一緒に砂漠の中を進む、困難な生き方を選んだという展開に度肝を抜かれた。
しかも、素敵なドレスを1枚身に着けただけ、荷物も持たず靴も脱ぎ捨て、どう見てもすぐに後悔するだろうという現実離れした状況だ。究極の「純愛」を表現したかったのだろう。
それだけに心に残るラストシーンであることは間違いない。
映像は、古い映画のわりにかなりきれいに加工されている。これでカラーだったら、美しいモロッコの様子が見られてさらによかっただろうに。
それにしても、富豪のベシェール。愛するがゆえにアミーの喜ぶことをしてあげたいと、恋敵であるはずのトムの見送りに連れて行き、結局は彼に走られて終わるという気の毒な結果に終わる。これもまた究極の「純愛」なのだろうか。お人よしにもほどがあると思ってしまうが、とにかく礼儀正しく優しいジェントルマン。今の時代には絶滅危惧種だろう。
字幕の観点から言うと、スポッティング(音とセリフのタイミング)がよく合っているので、これがオリジナルの字幕なのかどうかわからないが、もしそうだとしたら初の字幕作品にしてすごい技術だと思う。配信用に新たな字幕をつけることもあるので、字幕者の名前は出してもらいたかった。全体的に短めで読みやすく、流れを汲み取り原文に引っ張られない訳で素晴らしかった。セリフ少なめでしゃれた表現が多いので、写経にぴったりの作品である。
フリーランス翻訳家(映像字幕、実務翻訳)
浦田 貴美枝
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