メガロヴァニア
以前の会社の先輩石井はイケメンであり、常日頃から「俺はイケメンだから得をしてる」と語っていた。
ある日訪れた定食屋で石井は1000円の豚カツ定食を注文した。
すると店の奥から現れた70歳くらいの老婆の店員が石井に『お兄さんはイケメンだから豚カツにエビフライもついたミックス定食にしな。1300円のところを1000円にしてあげる』と言ってきた。
イケメン得してるなーと私は思ったが、当の石井は「別にエビフライは食べたくないから普通の豚カツ定食で」と老婆の提案をやんわり断った。
しかし老婆は『ミックス定食にしな!』と引き下がらない。
石井のほうも「豚カツ定食で」と応戦し、しばらくミックス定食と豚カツ定食のラリーがおよそ人生で交錯する運命とは思えないイケメンと老婆の間で取り交わされた。
数ラリー後ようやく老婆が折れ、『豚カツ定食ね』と寂しそうに厨房に戻っていった。
それから5分後に石井のもとへ運ばれてきたのはミックス定食だった。
イケメンは得してるなーと思う私を尻目に、石井は少し呆れながら「どういうことやねん…」と嘆いた。
結局豚カツとエビフライをしっかり完食した石井は「ミックスで正解だったかもしれんな」と言った。
会計時、熱くラリーを交わした老婆に対し、石井は「ミックス定食美味しかったです。ご馳走様でした」と感謝し頭を下げた。
老婆も嬉しそうに『また食べにきてね』と微笑んだ。
そして『ミックス定食で1300円になります』と言った。
それを聞いた石井は蚊の鳴くような小さな声で本日2度目の「どういうことやねん…」を言った。
周囲はこれを"石井ミックス定食事件"と呼んだが、私は当事案を密かに"イケメンのパラドックス"、略して"イケパラ"と呼んでいる。
○
「同じブロックに納言がいる」
その日、私は新型コロナウイルス感染症のワクチン接種による副反応で、朦朧とする意識の中、相方である丸島からのLINEに目を通した。
「え?いやいや。この間日程確認しましたけど僕らの日程はまだ出てませんでしたよ」
「それが出てるんだよ。後出しで入れ込まれた。4日後だ」
4日後…
今年で2度目の出場となるm-1グランプリにおいて、出場日はアマチュア組はホームページで確認するしかなく、また吉本興業公式から「あなたたちはこの日が出場日ですよ」という通知をもらえるわけでもない。
事前に提出した出場希望日は6パターンあったが、その第一希望第二希望を我々は9月末に設定していた。
しかしあろうことかその予定は大幅に前倒しされ、第4希望として提出していた9月上旬の出場がホームページ上で発表されてしまったのだ。
「仕方ないでしょう。4日後。頑張りましょう」
とはいえ準備はできていた。
6月初頭よりネタの吟味や稽古、調整を週1回のペースでしっかり行なってきた我々にとって、たとえ出場日が多少早まろうが、約3ヶ月も十分な準備期間を経ている。
「まあやるのは問題ないよ」
「やるのは、ってなんです?他に問題あります?」
前述の通り副反応による発熱で朦朧としている私には、もうあまりこの段階で丸島のLINEがまともに見れていなかった。
「同じブロックに納言がいる」
「へー」
翌日快復し、このLINEを見直し私は肝が冷えた。
納言が同じブロックにいるのかよ。
m-1グランプリの予選は性質上、4組が連続で漫才を行い、2分のインターバルの後また次の4組が漫才を行う。
この8組が同じブロックとなり、ひとつのブロックから何組の合格者が出るかは決められていない。
だが当然ながら、印象深い漫才の前後付近のコンビは印象が薄くなり、不合格になりやすくなる。
その上で、納言はいまやテレビに引っ張りだこの日本お笑い業界の売れっ子スターだ。
それを本業とし、第一線で戦い続けるプロ相手に、ステージに立つことすらないアマチュアの私達が、ノーハンディキャップで真っ向から戦わなくてはならない。
「どうする?いやどうするもくそもなくやるしかないんだけど、、、厳しくなってきたな」
不安がる丸島に、私は精一杯の強がりを見せる。
「テレビでしか観れない、目の前に立つことすら普通はできない大物相手に、実力だけで真っ向勝負ができる。賞レースの醍醐味じゃないですか。勝ちましょう。ジャイアントキリングだ」
サラリーマンはサラリーマンしかできない。
仕事にはその道の専門家がおり、その人達だけがその道を極める。
踏み出す勇気でもないかぎり、一度決めた道から逸れることはできない。
お前達は、いま選んだ仕事を一生懸命やって、家族を幸せにしろ。
他の道は、他の道の専門家がやればいい。
そんな生き方に、私も私の周囲も、そして相方の丸島も囚われてしまっていた。
まるでもう、当たり前にいまの状況を生き、当たり前に指をくわえ誰かを羨望するのが運命であるかのように。
そんな運命の糸を断ち切り、その先を見たい。
「納言だけじゃない。今回は周りがプロだらけだ」
「だ、大丈夫だ。練習通りやれば」
「観客もいるけど、、、き、きっとウケるよね」
「大丈夫だ。ウケるさ!」
「納言に勝てるかな?最悪の順番だけど」
最悪の順番。
脳内に流れ続けるambiguousが止まる。
目を閉じれば、私達の赤く、あるいは青い小さなハートマークが上下左右に叩きつけられ、熾烈なアクションに晒されている。
メガロヴァニアが流れる。
「関係ないよ。勝てるさ」
「そうだな。関係ない。プロがなんだ。勝てる」
「勝てますよ。必ず」
「うん。勝てる」
それは自分達を奮いたたせる暗示ではあるものの、もはや何かの言い訳をしているかのようだった。
【こうげきを つづけろ】
サンズが、不敵に笑う。
○
サラリーマンはサラリーマンにしかなりえない運命を変える。
テレビで観る大物を倒す。
なんだかんだいって自分達はすごく面白いということを証明する。
そう直前まで意気込んだ私と丸島の気力は、あっという間に会場の待合フロアで飲み込まれてしまっていた。
会場に着くエレベーターでは森本サイダーと河邑ミクが満面の笑みですれ違っていき、メイクをしていない小梅太夫はm-1スタッフからインタビューを受けていた。
小梅太夫がインタビューを終えると今度はレイザーラモンHGとサバンナ八木が入れ違いで我々の隣へ来て、スタッフからインタビューを受けていた。
「まずは一回戦。八木さんの身体が少しブヨブヨなので鍛えてもらわないと」
と言うHGに対し、サバンナ八木が
「ビールをホッピーに変えます!」
と全然面白くないのにやたら耳に残るボケをしてきた。
このせいで真横で小さくネタの確認をしていた我々は、大事なパンチラインで「ビールをホッピーに変えます!」というワードが何度も脳裏を過ぎることとなってしまい、完全に集中力を欠いてしまっていた。
さらに後からやってきた納言は「まあ一回戦なんで。油断せずに。頑張ります」とインタビューに答えており、当然のことではあるが一回戦突破は既定路線と考える売れっ子プロ芸人勢の迫力に、我々は飲まれてしまった。
「ダメだ。勝ち目がない」
そう絶望的な負の感情に苛まれた私の肩を、「だ、大丈夫だ」とさらに不安そうな丸島が揉む。
リラックスはおろか肩越しに彼の震えが伝わってきてしまい、いよいよ二人で「早く終わらないかな今日」と、とても会社を休んでまでm-1グランプリに参加する人間とは思えない弱音が口から出てしまった。
だが、次の瞬間のことだ。
それが誰なのかはわからないが、恐らくどこかの事務所のプロ芸人が丸島の肩にぶつかった。勢いよく。
丸島はすぐに「あ、すみません」と謝ったが、その若いプロ芸人は丸島に一瞥もくれずにm-1グランプリ取材班のもとへ赴き、「これって取材ですよね?俺ら取材してくれませんか?絶対売れますよ」と自信満々にアピールを始めた。
もちろんアピール終了後も丸島に謝るどころか目もくれることなく、彼らはどこかへ消えていった。
また、別のプロ芸人は待合室であるにも関わらず、館内に響かんばかりの大声でネタ合わせを行っており、近くにいたタチアオイというアマチュアコンビは萎縮しただ苦笑いをして時間を潰す状況に追い込まれていた。
極めつけはステージ前室に移動した後、荷物置き場に私は自身のカバンを置いたのだが、あろうことかまた別のプロ芸人が、その私のカバンの上にあろうことか断りもなく自分の荷物を載せたのだ。
あまりにも不愉快だったので私はその芸人を軽く睨んだのだが、すると彼はこちらに向かってきた。
やばい、ケンカになってしまう、と思わず身構えたが、彼は私の隣にある姿見鏡で自分の前髪を整えにきただけだった。
それは順番になれば必ずその姿見をチェックできるようになる位置にあるのに、彼は順番を待つことなく、私のソーシャルスペースに侵入し何食わぬ顔で前髪を整えているのだ。
なんて腹立たしいことだろうか。
それでも、トラブルになるわけにはいかない。
私は天を仰ぎ呼吸を整え、丸島に向かい言った。
「今年は前後の組も合わせてプロの芸人が多くて、凄い人達のなかでネタをやることになったなーって憂鬱だったけど、なんてことはない。プロのお笑い芸人なんて凄い人じゃなくて単なる嫌な奴らじゃないか」
「あいつらは優勝しようって気持ちよりも、プロという肩書きでアマチュアにマウンティングしたいだけかもな」
「HUNTER×HUNTERでいうトンパみたいなもんってことですか?」
「そう。度重なる奴らの鞘当てや大声アピールは毒入りジュースみたいなもんだ。なら俺たちはキルアになればいいのさ」
「うん?どういうこと?」
「毒を喰らわば皿まで、ってことさ」
もう何周かした上に巡りまわった結果、その諺がこの状況を表すものとして適切なのかどうかわかないし、急に何言ってるのかはわからない。
ただ、もう私たちから弱音は消えていた。
私たちの直前、タチアオイの二人がプレッシャーに圧し負け、「パンドラの箱…えー…パンドラ…あーパンドラの箱…」とネタを飛ばしてしまった。
それを舞台袖で目にした私達だが、その恐ろしい光景はネガティブな感情ではなく、よし行くぞという覚悟を植え付けた。
「ありがとうございましたー」
どうにか出番を終えたタチアオイがステージを去る。
音楽が流れる。
スタッフがセンターマイクの消毒をする。
昨年はこのタイミングで二人でがっちりと握手をし、歩みを進めた。
今年はそれをすることなく、互いに一言だけ、短く声を交わした。
「勝ちましょう」
「もちろん」
お願いします、とスタッフが私達に伝える。
それを合図に、私達はセンターマイクに向かい飛び出して行った。
今年は審査員だけでなく、観客もまっている。
未経験のスポットライトの下、私達の2021年の最も短い2分間が、幕を開けた。
○
「全然ダメだった。かすりすらしてないと思う」
緊張の2分間、それを終えてから約4時間後。
私は昨年同様失意の底で丸まっていた。
2年連続2度目の…1回戦敗退。
その最も物悲しい報告を受けた小峰遥佳は『インスタで観てたから知ってるよ』と言い、『お疲れ様でした』と告げた。
「よくよく考えてみれば当たり前の結果なのにそれを当たり前に受け入れられないのはもう単なるおバカちゃんだよねこちらが」
『それはきっと当たり前の結果ではないってことだよ』
「そうなのかな。歳をとればとるほど、仕事以外で傷つくことなんて少なくなっていくはずなのに。これだけ深いダメージを受ける環境自体が異常なんだからたしかに当たり前じゃないのかもね」
『そもそも、大人になって仕事以外で頑張りまくる機会自体が少ないよ。松岡くんはとうに当たり前の世界にはいないのだよ』
なるほど良いことを言う。
来年も出るかどうかは迷っている、という私に彼女は
『距離が近いせいだと思うけど、松岡くんが毎回、小説も漫才もガンガン大会で勝負するから、なんか自分も出てないのに一緒に結果発表待ってるみたいな気になってワクワクするんだよ。普通お笑いの大会のインスタなんか観ないよ。だから来年も出てほしいと思う。来年も小説応募してほしいし、m-1グランプリも出てほしい』
と言った。
既に私は、勝負することで得る、自分が自分でないと感じる奇妙な高揚感に酔っている。
来年かあ…
相方の丸島に、「丸島が狙ってるお笑いマニアの女、一回戦負けの残念賞とかくれないの?」と尋ねてみた。
「いやーくれないだろう。お笑いのスイも甘いも全部知っちゃってる子だからなあ」
「お笑いのスイも甘いも全部わかった気になってるお笑いマニアの女…道端で泥酔してる女よりバカそうだなそいつは」
「そういうこと言うなよ…。そっちは遥佳さんは残念賞くれるの?」
「あの子は勝とうが負けようが、俺には必ず何かしらくれるよ」
それこそ当然のように言う私に、丸島は首を傾げた。
「その子さ、なんで?昔ならまだしもいまのキミは普通の人じゃん。なんなら太ってきてるし。なんでそんなにキミに好意的なの?」
真顔で尋ねる丸島に、私は照れることなく、ハッキリと言い放った。
「だって俺面白いもん!昔も現在もこれから先も。もちろん、来年も!」
応援ありがとうございました!
また来年!!