幸せについて・人間のアレテー

 アリストテレスは、その人の能力を発揮すること=アレテーが幸せであるとしたらしい。その能力は人それぞれだが、人間自体の能力とはなんだろうか。これは人間らしさの話でもある。

 私は理性だとか言語だとかを人間の能力だと思わない。ロボットも思考し喋る。そういう、普遍的に能力とされる能力ではない。ロボットにない感情と動物になり理性を合わせたものが人間性だと思う。

 私は人間のアレテーを幸福になる力だと思う。

 ここでいう通常は普通の意味ではない。
私は、何かを食べたり芸術を鑑賞することで感じる幸せを快楽と呼ぶ。これは感覚的なもので、動物も感じるものだ。直接的に我々の脳を刺激する。

 そして、快楽について感じる幸せ、これを幸福と呼ぼう。ただ快楽を感じるだけではなく、快楽を感じられていることに幸せを感じる、ということだ。これは、長らく苦痛の中に居た者や、快楽を感じることのできなかった者が感じやすい。普段、快楽を感じている者はそれを当然のように思うが、そうではないと気づいた者たちだ。

 地球があればこそ建物もあるように、幸せを感じるフォーマットがあればこそ快楽を幸せだと感じられる。そのフォーマットがあること、それ自体が幸せだと思わないだろうか?

 幸福は精神的なもので、理性のある人間だけが感じるものだ。自覚するまで感じることができなくて、快楽を間に挟む必要がある。

 私たちがこの幸福を感じることができれば、一度の快楽で1.2〜2倍幸せになれる。そして満足しやすくなるがゆえに、快楽に対し節度も保てるようになりやすい。

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