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旧中・東欧の特殊施設遺構

  旧共産圏から抜け出した国々は、負の遺跡として諜報活動や、それに関わる反対思想の人間を裁き、転向させるために拷問という手口を使っていたことを博物館の形で保存している。ナチスの残虐行為の極みとして、アウシュビッツ(オシフィエンチム)やビルケナウが遺構として存在する(言わずと知れてるが、ポーランド国内)。同様に、ソ連KGBや各国の秘密警察の機関が置かれた施設などの開示されている場に、いくつか赴いた経験がある。       リトアニアのジェノサイド博物館。ラトビアの占領博物館とコーナー・ハウス。ブタペストのその名も「恐怖の館」博物館(House of Horror)。(アウシュビッツにも行ったが、それは今回の話とはまた別の問題。)他にも私が訪ねたことのある旧東の国に、それに類する施設があったかも知れないが、残念ながら全てを見ていない。

  リトアニアの博物館には、拷問部屋がそのまま残っていた。声が外に漏れないように分厚いクッションのようなもので扉の内側が覆われていて、至る所に血痕の痕と思われる茶色い染みが遺っていた。立ったままで置かれる小部屋なども。水攻めのための部屋もあったような気がするが、よくは覚えていない。あまりのことで、写真を撮る気力もなく(写真不可の場所も多い)、記憶も定かではないが、血染みの付いたクッションは鮮明に覚えている。盗聴のシステムや、秘密警察のお偉いさんの部屋などが再現(元々のもの?)されていた。とにかく、英語の説明書きもあったのだが、じっくり読む気も失せる。後でゆっくり確認したいと思って「英語のパンフレットあります?」と係の人とおぼしきおばさんに話しかけたが、「あぁ?」と言われただけだった(この人に英語で話しかけるのが悪いんだろう……)。共産国では年寄りを安く長く働かせていたのだろうが、「旧」となっても同じような労働システムが続いていて、不機嫌でサービスの「サ」の字もないおば(あ)さんが博物館のカウンターや店の売り子をしていることが多かった。私が行った頃の旧ソビエト構成国・衛星国の中では、リトアニアとウクライナがその匂いを色濃く遺していた。

ジェノサイド博物館入り口©Anne KITAE
こんな建物の中で残虐行為が行われていた©Anne KITAE

  ラトビアの占領博物館には、英語の解説があり、ドイツとソビエトの占領について詳しく写真と説明が掲示されていた。その場で、私が持っていたガイドブックには出ていない遺構があることを知った。それが「コーナー・ハウス」。町中の大通りに面している巨大な邸宅風の建物で、その内部は秘密警察の「仕事場」になっていて、当然拷問室もあるらしかった。博物館の人に「これ(コーナー・ハウス)は今もあるの? どこにあるの?」と聞いて(英語が通じるお兄ちゃんが奥から引っ張り出されてきた)、地図で示してもらい、別途その場所を訪ねてみた。
  残念なことに内部には入れないようになっていた。ただ、外にこの建物が何であるかを説明した表示があり、現地語・英語・ロシア語で併記されていた。(写真?)これを利用成立させていた国の言葉でも書かれていたのは、悪行に荷担した国にも実体を知ってもらいたいという表れだろう。こんな町中で、こんな瀟洒な建物で――。どれだけ、町中の庶民を引っ張ってきていたか、ということだ。

コーナー・ハウスの解説。中程から英語©Anne KITAE
コーナー・ハウス©Anne KITAE

  ブダペストの博物館は、とにかく戦争や共産党の粛正などで命を失った人間の写真を膨大な数、並べていた。まるで人柱のように。独房と思われる部屋もずらっと並んでいた。ここは写真禁止なのに私はシャッターを押してしまい、おまけにフラッシュを焚いてしまったため、係員がすっ飛んできた(No Photoって出ていなかったと思うんだが)。何とかカメラを取り上げられることはなく済んだが(もしかしたらしょっ引かれるかと、リアル恐怖の館になりそうだった……)、そのこともあって、内部の展示があまり記憶にない。だが1956年のハンガリー動乱などについても、展示があったと思う。  

恐怖の館外観©Anne KITAE

 何故、人は人に対してこんなに残虐になれるのだろう。野蛮とは、一体何に対して誰が使う言葉なのか。何故、共産主義でそうした体制が生まれるのか。皆民平等という理念を持ち、物を行き渡らせるための計画生産を作ったし、共同体で国家運営をする思想を持っていたはずなのに、密告社会で互いを監視させ続け、大衆の人間性を奪うことが、権力を生み、その維持に血道を上げる結果となった。きっとこれまでに膨大な研究が行われているのだろう。冷静な言説もきちんと定着していることだろう。が、こうした施設を直に目にすると、理性が吹っ飛んでしまう。これらもソ連のラーゲリ(強制収容所)も、ナチスの絶滅収容所の後にできているのだ。あれを経験した人類が、何故類似を繰り返すのか。一体、歴史に何の価値があるのかと、嘆かわしい気持ちで俯く。冷静な言説を紡ぐのが仕事の歴史学者は、歯ぎしりしているのではないだろうか。
  とにかく、黒い歴史を遺そうと皆、努力している。怒りの熾火でもあろうし、忘れられるはずがないのだろうけど、形にしておくのはそれなりに物理的な力もいる。
  けれども、人類総勢の自分事にはならない。いくら広島・長崎を見学しても、国に帰れば原爆を作る。あんな目に遭いたくないから作る、という理屈。語っても語っても通じない。人間の痛みの思考や感覚はどうしたら引き継げるのだろう。それこそが死者の語るべき、生者の受け取るべき「遺産」であるはず。そこに寄与できないなら、科学も無に帰する。


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