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2022/11/10(木) これは完全に形の話なんですけど

「豆苗の上に低い天井があって、こうやって(曲がって)生えちゃった感じ。切ない感じ」「はい、触れられたら豆苗〜」
振付家はいろんな言葉で動きの質感を伝えたりするが、中屋敷南の場合お手本のような動きを繰り返し見せるでもなく、何度も踊らせてみるでもなく、 こういう言葉を使って絵をつくっていくんだなと。いろんな言葉が出てくる。今日の稽古場は畳ということもあって、なんだかいろんな匂いのある空気があったように思う。

再演ということもあり、振付を再考しながら構成をほぼ作り替えているようだったのでダンサーともども、次の振付なんだっけ?と確認しながらやっていて、「この後何してましたっけ?……右手で心臓にぎって」とかいう言葉がたくさん出てきていました。

それらを見ながら、
力を入れるとか抜くとかいう身体の形が変わらない動作っていうのは、フォルムが変わっていかないのでダンスではあまり使われないはずなのに結構使われているなあと思ったり。
これは、完全に形の話なんですけど(云々)」とわざわざ、形(だけ)の話をするのが野暮だとでも言うように話始め、「こういく、というよりは、こう」と具体的に身体で示していたりもしました。この人は振付家というより、動き出す理由を考えたい人なのかなぁ、いやでも、などと勝手に想像を膨らませる。

この作品は、真俯瞰からの映像の視点も同時に楽しむ作品で、その作品づくりは、円形舞台での演出よりさらに難しいのではと思う。コンテンポラリーダンスはあまり正面性を気にしない身体の使い方も多いので、全方位に向けた演出というのは慣れている人からするとよくあるやつだけれども、今回はそれプラス重力方向の転換もある。稽古場でも常に横からiPad撮影と、真上からの画角をiPhoneで確認しているので、上からと横から両方見て楽しい動きを考えている?いやいやたいそうなことをしているなこの人は。

オンラインが当たり前になってから舞台と映像は何がどうしてこんなに体感が違うんだろうと考えていたが、この稽古場ではその一つの答えがあるようにも思った。真俯瞰からは生の視点で見たことがないので、映像で見ても情報が落ちたと思うことがないが、横から見るというのはもう生きていて30年もずっとやっているのでズレや揃いに敏感だったり、画面越しに見ているより断然生で見た方が面白いんだよなぁ。そこをうまくハイブリッドしている作品のように思う。


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