新世紀エヴァンゲリオン 初見感想
きっかけ・この記事について
ずーっと見なければとは思っていたんです。思い続けること少なくとも7年は経っております。
いわゆる旧世紀版のエヴァのみですが、この度ようやく視聴したので簡単ながらも感想を残しておこうと思います。考察などではなく単なる一個人としての感想です。
1.全体の感想
とりあえず、この作品が何を言いたいのか、そもそも「新世紀エヴァンゲリオン」とはどういう話なのか、そこについて私は語れるほど理解できませんでした。残念。なので以下に述べることは的外れかもしれません。明らかに違ったら「こいつ分かってねえな」と思っていてください。
その上で、私はこの作品を見て感動させられました。散々評価されているのを聞いていたし、すごい作品だということも何となく知っていましたが、実際に見てみると本当にすごい作品だということが実感できました。こいつぁやべえ。語彙力。
独特な世界観については言うまでもないでしょうね。エヴァの物語はエヴァの世界でしか生まれないものだと思います。どんな物語でもそうかもしれませんが。
そして「これは庵野監督の作品だ」という印象を強く受けました。アニメというよりも映画に近い感覚です。 その一方で、世界観についての説明が少し物足りないように感じました。私の理解力が足りないせいだと言われればそれまでなのですが、もう少し説明して欲しいと感じる部分は多々ありました。
例えばシンジ君達がエヴァのパイロットに選ばれた理由。パイロットに必要な素質。シンジ君がすぐにエヴァを操縦できた理由などなど。(もしかしたら作中で説明されていたかも? そうだったらごめんなさい。)
エヴァの世界に説得力を持たせるためにはこの辺りの説明がもうちょっと欲しかったです。とはいえ、くどくど説明せずにとにかくその世界を描き切るというスタイルは好きではあります。私はこの記事でこれからくどくど言うわけですが、エヴァの場合これで良かったのでしょう。というか、そうじゃないとエヴァじゃない気さえします。
2.気に入ったところ・気になったところ
⑴最後まで未熟だったシンジ君
物語において、主人公その他の登場人物の成長というのは鉄板な部分があると思います。ジャンプの作品は大抵そう(というイメージ)。それ以外の作品でもそういう傾向は強いと思います。教養小説とか言うのでしょうか。良い方向であれ悪い方向であれ、キャラクターは成長していく。
しかしエヴァのキャラの場合そうではないと感じました。成長しないのです。ここではシンジ君についてのみ言及しますが、彼は最後まで使徒あるいは父や友人との対決から逃げ続けていました。あの「おめでとう」に至ったのも、シンジ君の力とは言い難い部分が大いにあります。
そして彼は年齢を加味してもかなり自己中心的で、他力本願です。最終話では、人と話していても「でも」と言って自分の話をし始めていました。この「でも」は逆接の接続詞ではなく、自分の話をするための前置詞です。「でも」以前の話とそれ以降の話とは繋がりがありません。
シンジ君は自分が抱える問題を他人に訴え他人にその解決を求めるものの、相談に必要な会話のキャッチボールを成立させる気はないという、どこまでも子供な性格の人物です。
そこに私はエヴァという作品の良さを感じました。仲間と一緒に何かを解決したり成長したりしない、むしろ内に内に向かって沈み続ける、結果何も解決しない。それが非常に心地よかったです。
現実世界で起きる問題は大抵そう簡単に解決してくれません。解決しないまま自分の中に問題として残り続けることもままあります。何かを解決する物語は「光」だからこそ、視聴している自分の「闇」がより濃く映し出されてしまう気がして、時々辛くなるのです。ですがこの作品は解決の目途が立たない「闇」を否定しないでくれました。
そう思うと、「逃げちゃダメだ」というのは私も以前から知っていたシンジ君の有名なセリフですが、物語のキーワードにもなっていたようです。「逃げちゃダメだ」と言いながら逃げ続ける。何度もエヴァに乗っては降りてを繰り返す。このセリフだけ聞くと主人公が逃げずに戦う話なのかなと思わされますが、むしろその逆でした。
彼の自ら成長しないでドン詰まっていく姿は、どんな物語の主人公よりも現実的なものだと感じました。
⑵「男と女」
作品全体を通して、男と女の関係についてはしつこいぐらいに描写があったように思います。主人公たるシンジ君と綾波やアスカ、ミサトさんとの関係。ミサトさんと加持さん。これ以外にも沢山の関係が描かれていましたが、特に次の関係が分かりやすく見えました。
子供同士の淡い恋愛感情や大人の恋、大人に恋する子供という関係。
親子の関係。
シンジ君とカヲル君の関係。
1.子供同士の淡い恋愛感情や大人の恋、大人に恋する子供という関係。
これは最も一般的なものでしょう。程度の差はあれ性愛に繋がる「男と女」の関係です。
2.親子の関係。
シンジ君と父ゲンドウの関係やアスカとその両親、ミサトさんとその父、リツコさんとその母の関係などです。父と母それぞれに何を求めるのか。また、「親」という存在に何を求めるのか。あれをして欲しい、して欲しかったという願望や、それを叶えてくれなかったという恨みをキャラクターたちは抱えて生きています。
そしてこの物語においてこの関係は往々にして一方的なようです。双方のすれ違いではない、一方のエゴの押し付けという形がよく見られました。直接自手に自分の主張を伝えているかはキャラや場面によりますが、どちらにせよ意思疎通したうえでの擦れ違いではなく、キャラの中だけで思考がぐるぐる回ってドン詰まっていくという展開が多かったように思います。
3.シンジ君とカヲル君の関係。
ここまで漠然とした分類だったにもかかわらず急に特定の二人の関係について話すことになってしまいますが、取り立てずにはいられませんでした。この節の題「男と女」に相応しくないようでもありますが、あえてここに入れ込みます。
節の題の通り、この作品では男性と女性の関係をしつこく描いています。シンジ君とその他ヒロインとの関係についても、やはり作中で丁寧に語られていました。そうすると、シンジ君とどうにかなる展開があるのだとしたらそれはそれまで登場したヒロインたちと、というのが自然です。
しかし作中で(私の記憶が正しければ)初めにシンジ君を「好き」だと言ったのは、カヲル君でした。カヲル君が登場するのは全弐拾六話中の弐拾四話です。ハッキリ言ってぽっと出の新参キャラに、好意をはっきりと示す言葉を最初に発する権利を奪われたのです。
もちろんこの「好き」が恋愛感情を表すものだとは言いません。それを含むものだとしても、彼らがお互いに対して発したこの言葉が軽薄な恋愛感情からきたものだとは決して言えません。
だとしても、この言葉はあまりにも分かりやすすぎます。「好き」とはどういう含みを持っているにしても、単純で純粋な好意とは言えないとしても、とにかく好意を寄せているという意味には違いないでしょう。
こんな愛情の象徴のような言葉がぽっと出の、しかもシンジ君にとっては同性の見た目をしたキャラクターに奪われるのです。「男女」の関係を繰り返し繰り返し描写してきたこの作品で、終盤こんな事件が起ころうとは思いもしなかったのでびっくらこきました。
3.「蒼穹のファフナー」と重ねる
唐突ですが私は「蒼穹のファフナー」シリーズが大好きです。なので一応はファフナーと同じ「ロボアニメ」という大枠に分類されると思われるエヴァを視聴している間、脳内には常に比較対象としてファフナーの存在がちらついていました。そこでファフナーと紐づけた感想も覚書程度に記しておこうと思います。
しかし筆者、島民(ファフナーファンのこと)を名乗る割には内容についての記憶がおぼろげです。THE BEYONDはリアルタイムで劇場に見に行ったものの、他を見たのはもう4、5年前ですし……。そもそもちゃんと内容を理解しているかも怪しいです。いや、多分してない。
というわけで、これ以降はこれまで以上に適当言います。ご了承くださいませ。
⑴ロボットに初めて乗るシーン
ファフナーとエヴァ、それぞれに初めて乗るシーンはよく似ています。
敵が来た。ロボに乗れるのは君(主人公)しかいない。乗れ!
で、乗るという流れです。他のロボアニメでもよくある展開なのかもしれません。でも「革命機ヴァルヴレイヴ」や「アルドノア・ゼロ」、「コードギアス反逆のルルーシュ」では違ったような気がします。(何もかもが曖昧。)
展開としてはよく似ているこの場面、違うのは「何故主人公が選ばれたのか」「何故主人公がそのロボを操縦できるのか」が分かるか否かです。ファフナーではどちらについてもきちんと説明されていましたが、エヴァはそこの説明はなかったような……?
ファフナーとエヴァでは監督や脚本が描きたいものが根本的に違うからなのかなと私は解釈します。
その違いとは何なのか。ファフナーでは世界の中で登場人物たちがどう生きるか、世界をどう解釈するか、世界をどう作るか、という内省的でありながらも開放的な思考が主になっていると感じています。一方でエヴァでは登場人物が自分をどう考えるか、という閉鎖的な思考が主になっていたように感じました。
エヴァで最も大きな問題になっているのはあくまで「自己」なので、細かい辻褄合わせは必要ないのでは、と私はそう考えたわけです。
⑵主人公とその父・母
ファフナーの主人公である真壁一騎はエースパイロットで、その父は司令、母はロボ関係の事故で死亡しています。
エヴァの主人公である碇シンジもエースパイロットで、その父はNERVの総司令、母はやはりロボ関係の事故で死亡しています。
酷似どころか、全く同じ構成と言っても良いでしょう。しかし違うのは、特に父との関係です。
ファフナーでは父息子双方が不器用ながらも寄り添い、対話します。一方エヴァでは父息子のどちらも健全な歩み寄りの姿勢を見せようとしません。
⑶扉の番号
扉に番号をつけがち。エヴァでは基地に入る扉に番号が付いていました。ファフナーも有名な扉があります。そう、「11番の扉で行け」の扉です。
それだけなんですけど。
⑷廊下渡り
裸で廊下を渡らされる場面。エヴァでは13話にありました。ファフナーでは何話だったかな、でもかなり初期にほぼ同じ場面がありました。モニターする大人側には体は見えないから大丈夫、というリツコさん(ファフナーでは千鶴さん)の台詞も、一言一句同じとは言えないものの内容は同じです。
これはファフナーによるエヴァのオマージュと思っていいでしょうか。勝手に元ネタを見つけたような気持ちになっています。
でも違うところもあります。ファフナーでは他の子供と隣合わせで歩かせることはしませんでした。一方エヴァは直接の描写はなかったものの、並んで歩いたのでは、と思える描き方でした。時代でしょうか。監督・脚本の意図の違いでしょうか。
⑸罪に問われる主人公
エヴァもファフナーも、主人公が捕まる場面があります。どちらもその世界、その界隈にしか適用されない軍法的な法律を犯したとして罪に問われるのです。
しかしファフナーでは、言い方は悪いですが、馴れ合いのような裁判で和やかに解決します。体裁を保つために一応裁判をやったという流れなので。一方のエヴァも、結局大した罰を与えられることはありませんでした。NERVを追い出されたというよりも、自分から出ていったという形だったので、経歴への傷は大したものではなかったでしょう。
⑹赤木リツコ/遠見千鶴女史
エヴァのリツコさんはエヴァを作った技術者。ファフナーの千鶴さんはファフナーパイロットを作った母親とも言うべき人。
どちらの作品にも他の女性職員は登場しますが、立場の他登場頻度を加味するとこの2人が対応関係にしやすいです。
似ているのは自分の研究に負い目を感じている部分です。しかし人間としてはあまり似ていないかもしれません。
どちらかというと、千鶴さんと人間的な意味で似ているのはむしろリツコさんの母親のような気がします。親という一面と女という一面を持っているという点で共通しているので。
おわりに
以上、感想や気付いたことをつらつらと書いてきました。キャラクター達の弱さが嫌というほど描かれたこの作品、私にはぶっ刺さりました。最高でした。
しかしファフナーと重なる部分も多々あったわけですが、一体ロボアニメというのは遡っていくとどこに辿り着くのでしょうかね。ガンダムシリーズも恥ずかしながら見ていないのですが、それを見たとしてもこの問題は解決しない気がします。
また新たな発見があることを期待して、次の機会に続きを視聴したいと思います。ここまで読んで下さり誠にありがとうざいました。