ありあまる温度

自宅を中心に半径300m、中心角120°の扇形の中で暮らし始めてから1ヶ月以上が経った。夜が更けたころに空を見ながら散歩をしたり、ひさしく立っていなかった台所で野菜を刻んでいるだけで気分転換になる性質だから、おこもり生活もそんなに苦とは感じていない。仕事を始める直前まで寝られて、むしろ幸せなくらいだ。

だが、オンラインでの友人との長い会話を終えると、時折寂しさのような何かに襲われる。「寂しさのような」とは言ったものの、この「何か」は繋がっていた線が切れてひとりになってしまった寂寥感や空虚感とは少し違う。私にとってのそれは「温度への飢え」と表現した方が近い。

オフラインでの同時、あるいは時差多発的に会話が生まれるカオスさだったり、人目を忍んでのアイコンタクトだったり、手を伸ばせば触れられる距離感だったり、その日の出来事を反芻する余韻だったり、そういう「温度」が圧倒的に足りない、そう感じてしまうのだ。

温度が足りないなんて言いつつ、このWithコロナの時代に、1対1だけでなく、1対nのコミュニケーションに対応したグループチャットやビデオ通話ができるツール、TwitterやInstagram等のSNSのアプリがあることは非常に幸運だったと思う。

2、3人でのビデオ通話は、ほとんどオフラインと同じような感覚だし、実際に会えなくても、終電を気にせず、いつものメンバーと夜中まで顔を見ながら話したり、くだらないチャットができる。TwitterやInstagramなんかを見たら、いつも通りに、あるいはそれ以上に誰かが何かを更新していて、簡単にリプライを飛ばせる。何年も会っていなかった友人と、Zoomでサシ飲みすることになったなんて話も聞く。

この1、2か月で、確かに私たちは今までのように気軽に会ったり出掛けたりはできなくなったが、私たちのコミュニケーションの選択肢は増え、より自由になった。私たちは、時間に、場所に、服装に囚われなくなった。

新幹線で2時間の距離に住む友人とお茶をした1分後に、徒歩と電車で30分の距離に住む人とデートができる。どうしても残業しないといけなくて約束の時間に間に合わなくても、仕事が終われば、すぐに冷蔵庫の缶ビールをプシュっと開けて、即行でオンラインの飲み会に参加できる。

私たちは新しい自由の存在を知った。

だが、いくらそう思っても、温度が足りないと思う。会って話したいと思う。

なぜか。

私にとってのその解は「温度が足りないから」、端的に言えばこれに尽きる。 

グループチャットは、Withコロナの時代になる前から生活の中に当たり前に存在していた。いくら自由度が高くても、会うことの代替にはならない。

ビデオ通話は、そもそもの性質がかなりビジネスライクだ。2、3人の会話であれば、プライベートのオフラインのような会話もできるが、4人以上になると途端にビジネス上のコミュニケーションに近くなる。イメージとしては、ちょうど会議やパネルディスカッションのような感じだろうか。

たとえ10人のプライベートのオンライン飲み会であっても、10人で1つの話題を共有し、10人でその話をする。相槌や笑い声なんかは入るにしても、同じタイミングで話すのは常にひとりだ。秩序正しい。

それに、複数人とのビデオ通話では、目が合わない。顔が見えたとしても、その目は画面かカメラを見ていたりする。仮に目を合わせたい人が画面上の自分を見てくれていたとしても、自分が相手の画面のどこに映っているかは分からないし、そもそも画面を見ていたらカメラに視線がいかない。その人がカメラを見ていたとしたら、自分は画面上のその人と目が合うが、その人は自分と目が合わない。哀しいかな、ビデオ通話で目が合うことはない。

でも、オフラインでの会話ってそうじゃないでしょう。

10人の飲み会だったら、全員で1つの話題を共有し、全員でその話をしていることなんてそうそうない。いくつかのグループに分かれて、だいたいの場合は違う話をしている。しばらくしたら違う人と違う話をしていたりする。わちゃわちゃして、混沌として、フレキシブルだ。

言わずもがな、目線も合う。視線を捉えることもできるし、反対に捉われることもある。手を伸ばせば触れることだってできる。

帰り道はその日の出来事を反芻せずにはいられない。家に帰るまで、あるいは帰ってからも楽しさは後を引き続ける。

オンラインでのコミュニケーションは確かに楽しい。だが、こういった場の温度や体温のようなものが足りない、そう思ってしまうのだ。

私たちがオンライン上での自由を謳歌する一方で、反対に囚われてしまった「オフラインで会う」はいつ解放されるだろうか。秋のイベントの中止や延期が次々と決まり、終わりの見えない日々に不安になる気持ちも分かる。

だが、スペイン風邪だって収まったのだから、いつまでも家にこもって生活することにはならないはずだ。今ひとりひとりが家での生活を楽しんでいれば、1番の近道でオフラインの自由が戻ってくるだろう。近い未来、STAY HOMEの必要がなくなったとき、私たちはオンラインとオフラインの両方で自由を手に入れることになる。

オフラインの自由が私たちの元に返ってきたら、会えない時間に私たちを繋げ続けてくれたものに敬意を表しつつ、まずはハグで、温度の伝わる距離感で祝福をしたい。

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