戦争について語ろう(3)
胡椒は語る
前回は、金融や経済面から、戦争について語らせていただきました。
文化や経済も、戦争の道具となっている現代。
そんな状況を見ていると、必ずしも、武器や弾薬を用いる事だけが、戦争とは言えないようです。
では、戦争とは、いったい何でしょうか?
かつて、クラウゼビッツは「政治の延長線上に、戦争がある」と言いました。
戦争と政治は、切っても切れない関係にあるようです。
また、対外戦争の場合、他国が関わるわけですから、政治の中でも、最も影響力の高い分野は、外交であると言えるでしょう。
では、外交は、何のためにあるのでしょうか?
ここから導き出される答えは、自国が有利になるため・・・と言えるかもしれません。
不利になるための外交があったら怖いですよね。
まあ、場合によっては、自分の利益になるため、という政治主導者もいると思いますが・・・。
ともかく、利益を得るため、有利な状況を生み出そうとするのが、外交と言えそうです。
であるならば、外交の延長線上にある戦争も、同じ事が言えるでしょう。
自国を有利な状況に導くための手段、と言い換える事もできると思います。
では、何をもって有利と判断し、何をもって利益とするのでしょうか?
それは、国によって、異なってくるようです。
例えば、胡椒。
中世のヨーロッパでは、胡椒を購入する際、ダイヤモンドで支払っていたそうです。
新鮮な肉を食べる事が難しかった、ヨーロッパ。
臭みを消すために重宝されたのが、胡椒でした。
ただ、胡椒は、インドの特産品でしたので、簡単には入手できません。
そんな理由で、胡椒は、ダイヤモンドと同じだけの価値があったのです。
イスラム側が、ヨーロッパの懐事情を見て、高値で売っていた事も理由でしょう。
今の人から見れば、有り得ない取引ですが、当時の人からすれば、胡椒が手に入るのなら、ダイヤモンドなんて惜しくない・・・といったところでしょうか。
ところが、ヨーロッパとアジアの中継地点だった、ビザンティン帝国が、オスマン・トルコによって滅亡すると、状況が一変します。
オスマン・トルコが、胡椒の交易ルートを遮断してしまったのです。
ヨーロッパ諸国は、なんとか、ルートを再開してもらおうと、外交努力を重ねますが、トルコは、聞く耳を持ちません。
このまま、ヨーロッパは、泣き寝入りするしかないのか・・・。
そんな時、どうしてでも、胡椒を手に入れたい、胡椒を使いたいと考える人が出てきます。
そして、新規の交易ルートを開拓すればいいじゃないか・・・という結論に至ります。
オスマン・トルコを避けて、アフリカ大陸をグルっと周り、インド洋に出て、直接、インドに向かう一行。
インドを発見するや否や、胡椒貿易の独占をもくろみ、地元領主と敵対し、ついには、砲撃をおこない、インドの土地を奪っていきました。
この間、十年もかかっていません。
胡椒のために、必死になって攻撃する、ポルトガル人。
インド人も、アラブ人も、全く理解できなかったと思います。
こうして、ポルトガルは、オスマン・トルコとの外交を諦め、胡椒の産地を求め、ついには、戦争という手段で占領してしまいました。
もし、オスマン・トルコが、外交の段階で、ルートの再開を許可していたら、こんな事には、なっていなかったでしょう。
また、ポルトガルが、胡椒貿易を独占しようとせず、インドやアラブの商人たちと協定を結ぶ事ができていたら、争いは起きなかったでしょう。
胡椒の歴史からも、政治(外交)の延長線上に、戦争が有る事がわかりますね。