見出し画像

文字の重さは人によりけり。

「王様の耳はロバの耳」
このタイトルで昔ブログを書いた記憶がある。
今日は「王様の耳はぁー」と叫びたい事があった。
別にたいした出来事ではない。
会ったこともない人達の会ったこともない人達への勝手な発言?記事?著書だ。
会ったことはなくても一方的には知っているつもりの人達。

幸い私には大きな穴は必要なく
母に思いの丈を1日中しゃべり続けていた。
別に聞き流してくれていい。
ただ口にして消化したいだけだから。

Twitterでは案の定、私と同じように思いの丈を吐き出している人をちらほら見かけた。
Twitterは便利だと思う。
でも私はTwitterでは吐き出せない。
たった一つのつぶやきが正義となって
誰かに制裁を加えたり
となって非難を浴びる可能性があるからだ。
素直に言えば怖いだけでもある。

物語の中では床屋さんが秘密を抱えきれず
大きな穴を掘って(元々あったのかな?)
その中に秘密を叫んだ。
誰だって何かを叫びたくなる時がある。
だから床屋さんと同じように大きな穴を探す。
それはネット上という無限に広がる世界には
ぴったりの場所なのかもしれない。

しかし、ネット上は一つの穴だと思っていても
それは必ず何処かに繋がっている。
必ず他の人の耳に入ってしまう。目に見えてしまう。聞こえてきてしまうのだ。
それについ反応する。
同じ意見なら尚更、自分は1人ではない。
頼もしい勇者が現れたと
主張が激しくなるかもしれない。
全く賛同出来なければ、なんでそんなことを言うんだと
聞こえてきた方向に文句を言ってしまう事もあるだろう。
意見の交換はヒートアップすると相手を否定するようになる。

意見の交換は嫌いじゃない。
寧ろウェルカムだ。
そんな風に何故思うのか、考えるのかじっくり聞きたくなる。
それは相手を理解したいというより
その考えが成立する仕組みを知りたいのだ。
でもネット上でそんな面倒な事に付き合ってくれる人は少なく
だいたいはおかしいと否定されて終わるのがオチだ。
求めているものが得られないと分かっているのに
わざわざ文字を投げかけるほど向こう見ずではない。
というより、経験から学び向こう見ずではなくなった。

話がずれてしまった。
私は母という大きな穴にぶつぶつ言いながら
更なる情報を求める。
そして、お金を出して得た人達の穴から聞こえてくる言葉を探す。
わざわざお金を出すのはシャクだ。
幸い床屋さんのようにタイムリーに聞かなくても
文字という形になって浮遊しているものを見つければいい。
わざわざ文句を言う為に労力を使う。
それだけ文句が言いたいのかはたまた暇人のやる事なのか…。

この世界ではどうやら人によって文字の重みは違うらしい。
だからこそ出版業が成り立つわけだが
その重みは目には見えないので
自分の文字の重さを知らない人は多いと思う。
凶器になってしまっている事に気づかず
誰かを攻撃し傷つけている人を目にする機会は
少なくないように感じるからだ。
それは有名人や著名人に限った事ではない。
その重みを知っていて傷薬のように用いてくれる人もいる。
誰だって出来る事なら後者でいたいと思っていると信じたい。

私がロバの耳だと言っていた根源は
凶器にもなり癒しにもなると分かっていると言っていたが
本当にそうだろうか。
圧倒的に凶器になる事を分かっていたのだろうか。
毒にも薬にもならないより毒になった方がいい。
そういう思惑が大きかったのだろう。
そういう世界で生きているのだから。

そんな違う世界の出来事に私がわーわーと言っていた1日の話。
なんだか仰々しくなっているが…。。。
書いている私が1番踊らされている。

仮にサポートを頂けましたら大変貴重ですので大事に宝箱にしまいます。そして宝箱を見て自分頑張ってるねと褒めてあげます(〃ω〃) ♪