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働くということ。

noteのダッシュボードを眺めていると、過去に書いた記事がなぜか消されているのを幾つも発見した。昔の僕が恥ずかしがって削除したのだろう。でも、今になって読み返すと味わい深いものがある。なんだか勿体ないからリサイクルすることにした。

以下の文章は、2019年5月5日、22時4分に投稿された記事である。僕がまだ教員2年目の頃だ。この時間まで教材研究していたのだろうな。教員に慣れることに必死で、授業も部活もうまくいかなくて、毎日帰ったら気がつくと寝ていて、起きてすぐ学校へ向かって……。もがいていた日々だった。迷走した。逃げ出したいことのほうが多かった。

1日が泡みたく簡単に消えてしまうのが恐ろしかった。子どもの頃と比べて、大人の過ごす1日は短い。でも、今は過ぎ去る1日1日を噛み締めつつ、楽しんで過ごせていると思う。この頃と比べて、思えば遠くに来たものだ。

恐らく秋頃の初任校、初担任したクラスの授業にて

先日、朝を迎えてふと思った。

「毎日って、こんな風に、溶けるみたいになくなっていくのか?」

教員、一社会人になって、「仕事とは何だろうか」「働くって何だろうか」と、忙しさの隙間を縫って考えてしまう。

毎日、決まった時間に家を出て、授業をして、事務仕事をして、部活に行って、疲れて帰り、眠る。

たまに、生徒と談笑する。給料が貰える。同僚と楽しく飲んで、帰る。

毎日、忙しい。しかし、やらずにはいられない。10日に1日くらい、楽しい日があるし。

これこそ「仕事」なのではないか。

家に帰り、風呂の中で、黒井千次『働くということ』を読んだ。

仕事とは「業」である。

まとまりはないけど、ここまで。
変えなければいけないことは多いけど、教員は、教員の仕事は、楽しい。

今日も教材研究。

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