キクノスケが飛んでいってしまった日のこと3
会社を出て、家に戻り、キクノスケを連れて帰るためのキャリーや飼い主であることを証明する書類などを抱えて、上野警察署についたのは13時過ぎ。
電話で指定された"落とし物"受け取り窓口に来たら、窓口の前のベンチに見間違えるはずがないキクノスケがいました!
しかもご丁寧にとまり木のある鳥用のケージに入れてもらい、お水とエサまでもらって。
背中を向けていたキクノスケはこっちを見ましたが、顔はやっぱりなんだか疲労の色が濃く、しょんぼりした様子で、いかに自分が大変な目にあったかを僕に訴えてるみたいでした。
ほんとにごめん。。
保護してくださった警察官の方がいらっしゃって、キクノスケが見つかったときの経緯を聞けました。
まだ僕が秋葉原中でキクノスケを捜索していた朝の7:15くらいに、僕がキクノスケを見失った地点からさらに5-600mは北の方、秋葉原のUDX前の広場から
「しゃべりながら歩いてる鳥みたいなのがいるから保護してやってほしい」
と通報があったそうです。
(…。)
近くをパトロールしていたその警察官の方が現場に向かったところ、本当にしゃべりながら歩いていたキクノスケがいたとのこと。
(……。)
キクノスケが飛んで逃げないようにそっと近づいてそばにしゃがんだら、それに気づいたキクノスケの方から腕に乗ってきて無事保護できたそうです。
(………。)
安堵の中に湧き上がる突っ込みたい気持ちを必死に押さえ、表情が崩れないよう必死に下唇を噛み、僕はただただ神妙に聞いている風を装いました。
「あまりにも簡単に捕まえられたのでどこかケガしてるかもしれません」
と保護してくださった警察官の方は心配してくださいましたが、家に連れて帰った後によくキクノスケを調べても全くの無傷でした。
迷子鳥の掲示板を通して僕に連絡してくださった方は、僕と同じように飼っていたオウムが家から逃げてしまい、上野警察署に届け出を出されていたそうです。
キクノスケを保護した上野警察署からその方にお宅のオウムかも、と連絡が来ましたが、その方の逃げたオウムはすでに無事見つかって帰ってきていたので、うちのコじゃありません、と上野警察署には応えつつ、誰かが掲示板にあげているかも、と掲示板をチェックしたら、案の定、僕がキクノスケのことを載せていたので、僕に連絡してくださったとのこと。
日本ってこんなにいい国でしたっけ?
「本当にありがとうございます」と「本当にすみませんでした」を20回ずつくらい言いながら、キクノスケを引き取る書類の記入を済ませました。
2,3日前に届いたサイテスの登録証が、僕がキクノスケの正式な飼い主であることを証明するための書類になりました。
こんなもしものときにも役立つなんて、やっぱ届け出ておいてよかった。
入れてもらっていたケージから持ってきたキャリーへと慎重にキクノスケを移して、「ありがとうございます」と「すみませんでした」をもう10回ずつ言いながら警察署を出たところで、
「ちょっといいですか?」
と首からデジカメ(たぶん一眼レフ)を下げた人に呼び止められました。
その方は新聞社の記者さんでした。
警察署が人知れず迷子になったペットを保護し、飼い主が見つかるまでお世話していることを記事にするためにと、上野警察署に取材に来ていたそうです。
ちょうどそこにキクノスケが保護されてきたので、ぜひ僕に話を聞かせてほしいとのことでした。
キクノスケを連れていっこくも早く家に帰りたいというのが本心でしたが、僕とキクノスケの今回の経験が全国のペットとその飼い主のお役に少しでも立てればと思い、今回の経緯はもちろん、キクノスケの名前の由来、キクノスケを買ったときの値段まで、記者さんからの質問にできるだけ細かくお答えさせていただきました。
疲れ果てた僕とキクノスケがようやくマンションに帰ってきたのは13時頃だったと思います。
キクノスケに食べさせてあげれなかった今日の朝ごはんがたっぷりあげれるぞと思いながらリビングのドアを開けると、なんと窓際のキクノスケのケージの上で、知らないカラスが一羽、キクノスケのエサをバリボリ食べていました。
そういえば、会社に行くとき、もしもキクノスケが自力で飛んで帰ってきたときのためにと思い、ベランダや窓は全開にし、ケージの上にはキクノスケが食べるはずだった朝ゴハンをたっぷり入れたお皿を置いて行ったんでした。
警察署に行く前に一度家に帰ったときも慌てていてベランダを閉めるのを忘れてました。
もしキクノスケが見つからないままだったら、このカラスを僕はキクノスケの生まれ変わりとして認め、キクノスケと同じように毎日話しかけたり一緒にお風呂に入ったりりながら一生大事に飼うという決断をしていたかもしれません。
でももうホンモノのキクノスケが隣にいたので、コルァッ!と容赦なく一喝してそのカラスを部屋から追い払いました。
そんなこんなで、僕の飼い主失格の慢心とミスが原因で飛んでいってしまったキクノスケは、信じられない幸運と、たくさんの人の助けと、キクノスケの謎のコミュ力のおかげで、たった数時間で僕のもとに帰ってきてくれました。
僕がしたことと言えば、迎えに行くために人生で初めてブラック企業で午後半休を取得したくらいです。
二度とこのようなことが起きないようにこれから僕が飼い主としてすべきことは。
やっぱりキクノスケをクリッピング(風切り羽の先を痛くない程度に切って自由に飛べなくすること)すればいいということになると思います。
しかし僕にはその踏ん切りがつきません。ごめんなさい。
こんなことがあっても、好きなものがあれば飛んできて、嫌なことがあれば飛んで逃げるという、鳥が持っているいちばんの能力であり基本的鳥権を、僕の飼い主としての未熟さを埋めるためだけに奪ってしまっていいのだろうかと、考えてしまいます。
あの日空を飛んでいくキクノスケを見たときに感じた、絶望をほんの少しだけ上回ってしまった感動が、鳥の飼い主としてその鳥の安全を第一に考えるという間違いなく正しいはずの判断に、疑問の石を投じるのです。
結局僕がその疑問に甘えてクリッピングしなかったために、またいつかキクノスケはベランダか窓から飛んでいってしまい、そして今後こそ二度と帰ってこないかもしれません。
その明日かもしれないし、一年後かもしれないし、十年後かもしれない、訪れるかもしれない暗い未来の可能性を、冒頭の長田弘さんの猫への眼差しのように、僕も心のどこかにかかえて、今日も一緒にいられる日々を神さまに感謝して、キクノスケと暮らしていくんだろうなと思います。
そういえば、それからしばらくして、記者さんから取材を受けた内容が本当に新聞の記事になりました。
最期にその記事の一部を載せさせていただき、このお話は終わりとさせて頂ければと思います。