古事記から紐解く日本人の思想(1)
初回の序章で、神話と呼ばれる物語の中で、世界の成り立ちは、一神教と多神教であるところから違いがあると書きました。
日本では、古事記よりも少し後にできた日本書紀で、世界の成り立ち「天地開闢」の様子が語られています。
日本書紀の本文によると
昔々、天と地がまだ分かれず、陰と陽も分かれていなかった。
混沌として、まるで鶏の卵のようであり、ほの暗くぼんやりとして、事象が芽生えようとする兆しを内に含んでいた。
その中の清く明るいものが薄くたなびいて天となり、重く濁ったものがよどみ止まって地となるに及んでは、その軽やかで妙なるものは集まりやすく、重く濁ったものは凝り固まりにくい。
だから、まず天ができあがり、その後で地が定まったのである。
こちらの現代語文は日本神話.comからお借りしました。
日本の天地創造は、はじめ混沌として
しかし、何か芽生えようとしている兆しがあり
清くて明るいものは上へいき、軽いものは集まりやすいので、先に天ができたとあり、重く濁ったものは、後から地としてできます。
この後、ようやく天の高天原に神様が現れます。
一方、旧約聖書の天使創造は、初っ端から神様がおられて、一週間ほどかけて世界を創られますね。
それには環境の違いも影響していると和辻哲郎さんが仰っています。
気候による精神性の違いには、主に3つの傾向があります。
これだと、日本はモンスーン型なので自然から受ける恩恵もあれば、自然災害などの被害もある訳で受容的、忍従的になりやすい。
それは天地創造で、語られる動詞から分かるのですが
世界の創生神話で使われる動詞では
つくる、うむ、なる、が主にあります。
この中で、つくるとうむは、主体が必要
ですが
なるには、主体がなく、出てくるというもの 植物が成る
古事記は、天地ができてから、神様がなるをいう言葉を使って現れます。
西洋、中東、アフリカ
神が世界を作り、自分に似た形をした人間を作った
絶対者としての神と人間は対立した存在
日本
天地から出現した神々は芽吹くように生まれる
人間を包み込み一体化
天地創造にも、違いが出てくる訳です。
ちなみにギリシャ神話は、西洋ですが多神教です。ギリシャ神話が生まれた時代は、かなり温暖だったとされアフリカにいる動物なんかが生息していたという話。天地創造のスタートはカオス!です。
ではいよいよ、古事記の最初の文を見ていきましょう。
古事記現代語訳 こちらのHPの文をお借りしています
天地(あめつち)のはじめ
天と地が初めて現れたときに、高天原たかまのはらに成った神の名は、天之御中主あめのみなかぬしの神、次に高御産巣日たかみむすびの神、次に神産巣日かみむすびの神。この三柱みはしらの神は、いずれも独神ひとりがみとして成り、すぐに姿を隠した。
はじめに高天原でお生まれになった神様は
造化三神と呼ばれ、現れてすぐに姿を隠します。
独り神と呼ばれ性別を持ちません。また、神様ですが柱を呼ばれています。
(鬼滅の刃の鬼滅隊は柱と呼ばれていますね)
天之御中主神(あめのみなかぬしの神)は、はじめに現れた神様なので、主宰神と位置付けられ、あらゆるものの中の中心的存在、所説によれば、宇宙の中心的存在とも言われています。(見えない姿から他の神様も含めエネルギー的な意味を表すという説もあります)
その後現れた
高御産巣日神(たかみむすびの神)と
神産巣日神(かみむすびの神)は、
ムスビ(ムスヒ)のムスは生じる、生成する、という意味で、むすこ、むすめ、苔がむす、も同じ語源)で、ビ(ヒ)は超自然的な霊的な力を意味します。
この二柱の神は、後の物語の重要部分に現れ、高御産巣日神(たかみむすびの神)は、天照大神(あまてらすおおみ神)に関わるので、高天原系の神の代表と言われ、神産巣日神(かみむすびの神)は、須佐之男命(すさのおのみこと)に関わるので、出雲系の神の代表という位置付けをされ、その中心で融和的な立ち位置なのが、天之御中主神(あめのみなかぬしの神)なのでは、という話です。
また、高天原系、出雲系を陰陽という風に捉えられなくなくもない。。
すぐに姿を隠した。部分の原漢文では、
隱身也。
とあり、これも解釈が所説いろいろあり
1.姿が見えない
2.姿は見えるがすぐ隠れた
3.姿が見えず、すぐ隠れた
との3パターンが考えられますが
「すぐ隠れた」というのは、この字からは有力で、さらに、姿も見えない
となると、これらの神様は見えないエネルギーのような存在なのか、というイマジネーションも出てくる訳です。
なかなか面白いですねぇ。
と、全然先に進みませんが、世界の創造を日本人が
どう考えていたか、と想像を膨らますのは楽しいです。
これから、まだまだ神様はお生まれになりますよ。
下の表は、イザナギ、イザナミまでなので、もっともっと。(多すぎてもう...)
日本最古の書物、古事記は712年、天武天皇の命により
稗田阿礼が収集した話を太安万侶が編さん
ドラマチックな物語の原型が多く散りばめています。
まだまだ、初っ端ですが、今回はここまで。