kiku
初回の序章で、神話と呼ばれる物語の中で、世界の成り立ちは、一神教と多神教であるところから違いがあると書きました。 日本では、古事記よりも少し後にできた日本書紀で、世界の成り立ち「天地開闢」の様子が語られています。 日本書紀の本文によると 昔々、天と地がまだ分かれず、陰と陽も分かれていなかった。 混沌として、まるで鶏の卵のようであり、ほの暗くぼんやりとして、事象が芽生えようとする兆しを内に含んでいた。 その中の清く明るいものが薄くたなびいて天となり、重く濁ったものがよどみ
「古事記」から日本人の思想的なものはどこから来たのかという考察をしていきたいと思います。 何でこういう事に至ったかは、ひとつはお仕事で、古事記の絵本を描くことになり、調べ始めたら何やら、興味が日本人の思想、倫理観や無自覚な宗教観はどこからくるのかという興味にたどり着いてしまったのでした。 もともと、日本人は現代のような空気を読む、とか、大きいものに巻かれろとか、そういう思想がある様な民族だったのかしら。 というと、いや、その性質がいい方に出たり悪い方に出たりしているのか