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まずは感覚を研ぎ澄ましてこ!
かなり気が早いようにも思ったのだけど、仲間うちですでに8月半ばの旅の予定が決まりつつある。行き先が北海道、お盆の頃というので航空券も宿も早くから押さえた方がいいからだ。
運転は、四人の仲間のうち、わたしともう一人がする予定。
ふと、わたし自身が初めて北海道に一人で行ったときのことを思い出した。
*
それは20年以上前の夏休み。当時は東京に住んでいて中型バイクに乗っていた。と書くとカッコいいけど、へっぽこライダーだったので東京から北海道まで運転する、または茨城・大洗港からフェリーに乗せる日程も長距離運転できる体力もなかった。
偶然、レンタルカーならぬレンタルバイクがあると知って、札幌で中型バイクを借りて二泊三日のツーリング旅をして返す、ことにした。
旅程は札幌から積丹岬、そして小樽泊。翌日にニセコ方面まで行って泊まる。そして札幌に戻ってもう一泊したように記憶している。
2000年代前半。携帯電話は持っていてメール送受信はできたけれど、インターネット接続はできなかったはずだ。スマートフォンは登場以前、まだGoogleマップもなかったはず。検索はYahoo!の一人勝ちだったと思う。
今のわたしからすれば、Googleマップやナビ無しに知らない土地に行く、運転するなんて無謀とも思える。どうやって行き着いたんだろう。
このときは、昭文社のツーリングマップルという地図を見ながら旅をした。
国道と標識に従って、気になるところで休みながら目的地を目指す。目的地は徒然に。まずは知らない土地で初めてのソロバイクツーリングをすること、その旅の経験自体が目的だった。
ツーリングマップルにはおすすめ観光情報は載っているものの、今みたいに沢山の口コミやおすすめが上がってくるわけではなかった。どこかでインターネットに接続すれば、さらなる情報は得られただろう。それでも接続環境や検索結果は2020年代から比べたらやっぱり限られていたし、ネットで調べることが今ほど「当たり前」ではなかった。情報量は限られていたし、そのときその場の余地があったように思う。実際は、「そのときその場」を受け入れるわたしはまだ、できていなかったのだけど。
その後の、2000年代後半に関西に住んでいた頃、初めてクルマを買って、近くの友人宅に遊びに行ったときのこと。
クルマのナビがないため、Yahoo!検索したルートをプリントアウトして確認。曲がる信号をポストイットに書き出して貼り出してから出発した(笑)
その点、今ある文明の利器は本当、ドラえもんのポケットから出てきたようにハイスペックだ。ルートは設定さえすれば、連れて行ってくれる。自動運転だって一部は実現している。
でもわたし、アナログ人間なのかな?
そこに、何か忘れてない?って感じちゃう。
*
他の記事にも書いたけど、最近行った今年80歳になられる鍼の先生の治療院では携帯電話の電源完全オフを徹底される。身体の異変を微細に感じ取る感覚を電磁波が邪魔して、診察に影響するのだそうだ(それとは逆に、今の人間は携帯電話の電磁波に対応できるように生まれている、と話す超意識の人も知っている。どっちの考えもありだと思う)。
わたしは、電磁波のことは詳しくわからない。でも、この先生に習ってスマートフォンで検索せず、電源を切って移動してみるのもいいかもしれないな、と思って、そうしてみた。
すると、意外と一時間に一本しかない電車に乗れた。さらに、定刻を過ぎた高速バスに予約なしで行き当たりバッチリ乗ることもできた。バスはあらかじめ時刻表と空席があることを調べていたし、定刻を過ぎていても乗れたのは始発バス停ではないため、少しは遅れるだろうと見越していたのもあるけれど。
「自分にエネルギー取り戻してこ!」
数日前に、そんなことを書いた。
もちろん、これからドライブする走行ルートを丸暗記する努力は必要ない。
けれど、外部脳に頼り過ぎずに自分の直感、感覚を信じる。感じ取る能力を使っていく。これも、また「自分にエネルギー取り戻してこ!」ではないかと思う。
ネットやSNSが無かった頃のわたしたちは映像や音声メディア、さらに古くは書物や印刷物から情報を得てきた。いつの時代も口コミは存在していた。
そして、それ以前は?
自然界から。太陽や月、お星様。雲の動きや風の吹く様子。
それを肌に感じる。
鳥たちの声、虫の音
そして虫の知らせ、といわれる直感
それは外から受け取るもののようであり、
自分の内側からの感覚だ。
以前も別のnote記事に引用したが、羽黒山伏の星野先達の修行に参加した際、先達に質問してみたことがあった。それは「直感」的な感覚について。
決して不思議を求めて歩いている、行をしているわけではない。ただ、そのようなことを感じただけ。だけどこれは普通の登山では感じられない感覚。誰かとおしゃべりしながらならなおさら感じられない。そして多分ずっと座り続けていて感じるものとも違うかもしれない。
そういえば昔、長距離のトレイルランのレースに出ていた頃(レースというとカッコいいけどわたしはめちゃ遅い)も山の中では動き続けていて、そのときもふとした瞬間にすごいインスピレーション(気づき)や不思議なことが起きていた。
言葉足らずなわたしのニュアンスが先達にどこまで伝わるかわからないけど、この辺りのことを訊けるのはやっぱり星野先達しかいないと思って訊いてみた、訊くタイミングがあった。
「俺のとこにも来るけどヒーラーとかセラピストとかがさ、メッセージが降りてきた(といって上の方を手で示す)とか言うじゃない?俺にしたらそれはどこか上から来るとかじゃないよ。頭からじゃないんだな。自分の腹、内側からそう出てきたんだよ」。
自分の腹、内側、裡、ハラから…
先達のずばりのお言葉はどれだったか、わたしのことばに置き換わっているかもしれないけれど
つまり”外側に求めずとも、もうすでに(充分に)自分のうちにあるよ。そこに気づいて動くだけだよ”と。わたしはそう受け取った。
前置きあり、引用あり、で長くなった。このことはまた改めて、別の切り口から書くことになりそうな気がする。
で、言いたいことは結局、まずは感覚を研ぎ澄ましてこ!
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