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「生ききる力」を育む
目に見えない数値化されない世界
学校教育では、IQや偏差値など数値化出来るものを重要視されていました。
僕自身もゆとり世代といわれる世代ですが、大脳を使う認知(視覚化)能力を向上させる教育を受け大学まで進学しました。
こうした認知能力ばかりをみつめ競争ばかりしていると殺伐とした生き方になっていき、どこか人間としての温かみや調和というものから遠のいでいきました。
現在、フォノグラムの感覚を日常に取り入れ、身体を内観しながら動かしたり、楽器をつくるようになり、認知能力とは真逆な大脳、前頭葉以外も使う学習になり心や体の充実感や回復力が自然に高まっています。
また、真空蒸留や菌ちゃん水槽、植物、発酵について知識が先ではなく手足を動かし材料を揃え制作するという体験学習は本来、人間は行動し体験し学んでいくことが普通ということを再認識させてくれました。
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最近、教育領域で良くいわれている。目に見えない数値化出来ないような能力を非認知能力と言われている。
目標設定から達成、協調性、感情のコントロールなどを向上させる重要性をといたものだ。
僕が思うに非認知能力は、机上ではなく現実で自分自身を感じ必要なことを行動する、全体を感じ必要なことを行動する体験の結果であり自然に気づいたり、向上していくものであると考える。
更に最近は、非認知能力を向上させるとは「生ききる」ことだと強く感じる。
自由を求める子供らに
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「生ききる」ということは、対象は常に自分である。
相手に焦点をあてると「生きぬく」になってしまう。
生きぬくために非認知能力を向上はおかしいことに気づいた。
ただ、からだに湧いてきたものに寄り添い行動する。
使っていない場所(生ききってない場所)を使えるように、からだ や あたまを育てる。
生ききることの大切さは、自然や身体の循環された世界がおしえてくれる。
これは、これからの次代に生きる子供らに是非しっといてもらいたい。
生ききるためには、自分を感じる術(体術)が土台になっている。
自分を大切にし、からだに向き合い育んでもらいたい。