変換ミスはどこまでOK?

最近ではスマホでやりとりをすることも多く、なかなか長文を自筆で書くということがありませんね。
字が汚いので少しほっとしているのが私の本音です。

それではデジタル時代では悪筆というのはなくなったのでしょうか。
私はそうは思いません。

いわゆる「変換ミス」がそれに当たると思います。
もちろんnoteやtwitterのように個人が意見をつらつらと述べる分には多少の変換ミスはつきものでしょう。それも個性です。
私も自分のブログに訳の分からないアルファベットや遠くの地名を見つけることがあります。笑

レポートや上司へのメールでの変換ミスが失礼なのは言うまでもありません。ナメてんのか、と思われるだけです。
ではネット上のコメントなどはどうでしょう。「頑張れ」「すごい」などの短いものではなく、ある程度練った明確な相手へのボールのことです。これは対面での会話や手紙に相当します。もちろん相手を蔑む目的で書かれるのもあると思いますが、一応本気ですよね。会話や議論を試みていますよね。
本気でなければそもそも時間を割いてコメントしないはずです。

私はこのような本気な場面で変換ミスをする人は信頼できません。
その人の言葉がいかに正しくても礼儀がないのは議論以前の問題です。
「そんなみんなが本気じゃないよ。こだわりすぎ」
という意見もあると思いますが、変換ミスの入ったコメントとそうでないコメントとを比べてください。受ける印象は同じでしょうか。
変換ミスは送信ボタンを押すまではいくらでも訂正できます。
変換ミス入りのコメントをするということは即ち
「あなたに絡む手間は取りましたが、見直しのための僅かな手間は取りませんでした」
と宣言することです。
字を雑に(汚いとは限りません)書くことと質的には一緒ではないでしょうか。所詮あなたには雑な字でしか伝えることはない、と。

私は字が汚いですが、丁寧に書くことを心掛けています。
丁寧に書けば少なくとも損はしないと考えているからです。
また同様に誰かと一対一でデジタルなやりとりをする場合も必ず送信前にチェックしています。
それは性格や意見の相違があっても最低限の相手へのリスペクトゆえです。
ネットであることを言い訳にこの最低限すら気にしない方も増えたような気がします。
活字文化は廃れつつありますが、根底にある礼儀は継承され守られるべきだと思いました。

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